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Dec 26, 2012

ストレス、ではない。

木曜日の当直のさなかの夜中からなんとなく耳に耳閉感があった。
耳に耳閉感があるからなんとなくフラフラ気持ちが悪かった。

疲れているのだろう。
そう思って金曜日寝て。
土曜日になっても治らないどころかひどくなっていた。

仕事帰りに近くの開業医の耳鼻科の先生に診てもらったら、「多分、外耳炎でしょう」と言われた。
本人の感覚としては「???そーか??」という感じではあったが、まぁ中耳炎とか突発性難聴でないならいいや、と思って帰宅。

日曜日は一日まぁ右耳の聞こえが悪いまま、平常通り過ごし。
夜中寝るときに、何となく目が重たいなぁとは思ったものの、眠いだけかな、と思い就寝。

朝起きてビックリ。
目が開かない。いや、開けているつもりなのだけど、開かなくて見えない。

焦りました。

でも、頑張ると真下50cmくらいは見えるんですよね。
上を向くようにして覗きこめば、前も頑張れば何とか少し見える。

ズルズルっと洗面所まで移動し、支度をして、いちもくさんに病院へ。
仕事はともかくとしても、完全に見えなくなる前にどうにかして病院へたどり着いていないと身動きが取れなくなるという恐怖。
当然自転車なんか乗れませんから、地道に真下を見ながらテクテクと。

職場の先輩方に驚かれ、笑われ。
祝日にやってる眼科も耳鼻科も近くにはなく、初めての場所だったり、自転車でないといけない場所では無理なので、歩く距離が最短で済む、大学へ。

救急当番がたまたま知ってる先生たちでした。
救急外来受診したところ、原因は不明だけど、なんらかの免疫反応では?とのこと。
原因不明だから、それ以上悪化したら怖いから、実家に泊まった方がいいんじゃない?という先生のアドバイス。うーん。

結局、水曜日までかかってなんとか目の腫れはひいた。
しかし、右目は角膜下出血してるし、左耳まで耳閉感・聞こえにさが出現。
こりゃだめだ、と思って勤務先の病院の耳鼻科を受診。

鼓膜を見て、鼻から喉までをファイバーで覗き。
なんかやたら腫れてるし、分泌物も汚くなってきてるよ、と。

なんなんだかねぇ。
抗菌剤やら抗ヒスタミン薬など一式を処方され、服用開始。

どの先生も原因不明、と。
看護師さんたちには、ストレスじゃない?疲れたんだよ。とか言われたけどさ。
でもねぇ。そんなにストレスを感じてる訳じゃないし、こんな如きで腫れても困るしねぇ。
うーん。

Dec 21, 2012

来年

私の来年の行き先が決まりました。

今の病院の小児科です。
今私がいるのは、NICUです。将来行きたいのもNICU。
でも、まだ医者3年目、小児科をしっかり回って、小児科専門医をまずは取らないといけません。
なので、4年目と5年目は一般小児科を回ることになります。

その中で、私は今の病院の小児科を希望しました。
理由もはっきりしていたので、長い作文まで付けて提出しました。

今、NICUではローテーター(3-6年目の、NICU希望ではないけども、小児科医になる上で必要で1年だけ回る人たち)は外来は持ちません。
NICUの外来は先が非常に長いため、長くフォローが出来る人が診るから。

だけど、NICU希望の私は、外来を持たせてもらっています。
体重が軽かった子も、双子ちゃんも、お腹が張ってた子も。
合間合間に上の先生に質問しながら、診させてもらっています。

今の病院の小児科であれば、その子たちの外来をそのまま診させてもらうことができます。
大きくなっていく時にどう大きくなっていくのか、最初のkey ageである1歳半まで診させてもらえる。
だから、今の病院の小児科を希望しました。

そして、希望が通りました。
絶対に通らないと思っていたから、正直、来年の行き先を見た時に驚き過ぎて、目が落ちるかと思った。けど、良かったのかな。
将来NICUに行きたいというのがはっきりしているので、一般小児を回る2年間で診たいこともおのずと見えてくる。

もちろん、いわゆる一般小児科を診れるようになりたい。
私、今まで一般小児なんて診たことないもの。
風邪の子が診れないんです。

そういう事以外の、NICUに行く上で診たいこと。
ひとつは、先ほど書いた、同じ児を外来フォローできるということ。
そして、もう一つは、NICUを卒業した子たちがどうなるのかということ。
実際に自分で診た子じゃなくても、昔NICUを卒業して大きくなっていく子たちが将来どのような形で小児科にお世話になっていくのかは見れる。
これらは、多分来年診れる。

そして、もうひとつが、NICUが無いような病院で診ている、少し小さめ、少し早目の子たちの入院と外来です。
NICUに行くということは、NICUがある病院に勤めるということ。
NICUがある病院とない病院とでは、診れる赤ちゃんも違うし、対応も当然異なってくる。
だから、NICUがない病院で診ている少し小さめ、少し早目の子たちを診たい。
これは再来年の課題。

でも。
まずは目の前の患者さんと真剣に向き合うところから。
残りのNICUでも、来年の小児科でも。
沢山沢山学びたい。吸収したい。

Dec 20, 2012

慣れ、不慣れ

慣れがいいのか、不慣れがいいのか。

慣れは必要だと思います。
でも、不慣れも悪くないのかもしれない。
そんな出来事がありました。

普通の1ヶ月健診で、便が白い子がいたんです。
もちろん、数回便が白くなることくらいは普通の子でもあります。
いろんな原因で起こりうるから、病的なものだけではない。
けど、診断を急ぐ病気も中には隠れている。


便が白いこと。先輩先生たちにとっては、よくある事なのだそうです。
ロタウイルスじゃない?アレルギーじゃない?黄疸出てないもんね。と言われました。

でも、便の回数が増えたりもしていないし、周りにも症状はなく、体重増加も非常に良い。
そんな状況だったので、うーん?と思いながら採血だけ提出することにして。(一応ロタウイルスも出した)

出した検査結果でも、先輩たちにとってはピンとこないデータ。
でも、γGTPは650と高めだったし、T-bil4台に対してD-bil0.7とやや高め。
どうしてもそのデータが気になった。他のデータが動く前にγGTPが上がるってちょうど勉強会で聞いたばっかりだったし。

外科の先生と放射線科の先生に連絡をして、エコーを当ててもらった。
(自分でエコーを当てても、変!しか分からないだろうけど、これは本物だろうと思ったため、病型診断も含めて、直で検査室にお願いした)
本物でした。先天性胆道拡張症だった。

先輩先生たちにとっては、後から考えたとしても一週間経過観察をしてもう一回来てもらう程度のことなのだそうです。
でも、私にとっては、初めてのことで慣れていないこともあり、こういう経過になり、その日のうちに診断がついた。
もちろん、それが1週間ずれていたとしても、赤ちゃんの状態が劇的に変わる訳ではないからよいのだけど。

慣れは必要だし、私よりもっと忙しい外来をしている先輩たちにとっては、これくらいであればどうする、という感覚があるのだと思うし、それが必要なのだと思う。
慣れは必要だけど、不慣れな部分も残しながらが良いのかもしれない。
そんなことを思った外来(1カ月健診)でした。

Dec 17, 2012

NICUに入院している子たちはいろんな子がいます。

小さく早く生まれたお子さんたち。
満期で生まれたけど、外の環境に適応するのに少し時間がかかっちゃった子たち。
生まれる前や後に苦しくなって具合が悪くなってしまった子たち。
先天異常がある子たち。

順調にお家に帰れる子も、帰れない子もいる。
医療的に難しい場合、ご家族の受け入れが出来ていない場合。
いろんな場合があるけど、どの子も病院で一人でお泊まりしながら頑張っている。

私が担当している某お子さんもその一人。
全然診断が着かないのだけど、明らかに症状はいろいろとある状態。
一つ一つの症状に対して出来ることはやっている。

だけど、大きな先が見えない。
この子の将来はどうなっていくのだろう?
この子はどうしてあげるのが一番よいのだろう?

私は来年はここにはいない。
分かっているから、せめてその子の先の見通しを少しつけてあげたくて。
なんだか必死。どうしたらいいのだろう。

Dec 9, 2012

私たちの仕事は、人の生命生活に直結します。

だから、例えば自分の患者さんが具合が悪くなったとき。
例えば自分の当直中に誰かが具合が悪くなったとき。

ものすごく悩みます。
自分の処置・判断が何か間違っていたのではないか。
何かをしなかったら、もしくは、何かをしたら、違っていたのではないか。
もう少し前に気付けなかったのか、予防は出来なかったのか。

でも、考えている暇はないんですよね。
赤ちゃんたちは具合が悪くなったらあっという間だから。
まずは現状に対する対処が先になるから。
なんで?というよりは、どうしたらいい?で頭がいっぱい。

今日もそうでした。
私は土曜日朝から日曜日夕方までの勤務。
土曜日の午後から、超未ちゃんが具合が悪かったんです。
たまたま通りがかってくれた(たまたまなのか、予知をしたのか。後者な気がしなくもない。)部長の先生に相談しながら必死。

でも、日曜日の当直の先生に引き継いで日曜日午後に帰ろうとして忘れ物をして戻って来たら。
がたっと具合が悪くなってた。
対処をして(というより、対処をしている先輩先生の横でなにが起きてるのかを考えてる風に座ってた)、とりあえずというところまで見届けて。
家に帰ってから悩んだ。答えなんて出ないんだけど。
どうしたらよかったのかな。

Dec 3, 2012

新生児仮死

っていう言葉はあまり使わないことになりつつあるらしいですが。
一言で言ってしまえば、生まれた時に非常に非常に具合の悪い子たちです。

今日も、胎児モニターで具合が悪い!っていう子がいて緊急帝王切開で出生しました。

私、今のNICUに行ってから沢山の子を診させてもらう事が出来ています。
でも、最近まであまり当たっていなかったのが、薬剤投与や胸骨圧迫を出生直後に必要とする蘇生や新生児仮死の子たち。
夏休み前に蘇生を必要とする子たち数名に立て続けに立ち会わせてもらいました。
次回出来るかは別として、雰囲気は掴めました。
でも、恐らくは自分一人だったらものすごくパニック状態に陥ると思います。

そして。
夏休みから戻って来て夏休みボケも解消して来た本日。
新生児仮死の子が生まれ、担当することになりました。

頭に血液が行かなかった時間がある子や頭にダメージがある子だと頭が浮腫んでしまいます(脳浮腫)。
脳の代謝を抑えて脳細胞のダメージを減らす為に行われるのが脳低温療法という頭部を冷やす治療です。

そうしていると、肺の血圧が上がって(肺高血圧)、肺に血液が行かない状況に陥ってしまう子もいて、 そういう子には吸入NO(一酸化窒素)療法ということをします。
NOによって、肺の血管が広がり、肺が広がって、肺の血圧が下がるんです。


私が担当することになった子は、所見がしっかりある子で、脳低温療法、吸入NO、そして大量の点滴類に囲まれた状態です。
NOを吸っている子を担当したことはありますが、脳低温療法は初めて。
教科書を読みながら、先生に頼りながら。私が出来る事を少しずつやっていくという状態だけど、沢山勉強になっています。自分でいろいろやってみないことには、やっぱり身にはつかないから。
そして。元気になることを祈って。

Nov 26, 2012

夏休み明け

先週、夏休みをいただいていました。
18日から25日まで。丸一週間以上。
研修医の頃は3日だったから、土日とつけても5日間だったので、こんなにお休みをもらったことはありません。
そしたら、復帰初日の本日、ものすっごーく夏休みボケをしていて、オロオロオロオロ。
頑張ります><

多分あまり行かないであろう、ブータンに行って、インドの学会に少しだけ出てきたので、もし興味が有れば、旅日記でも読んでやってください。
Bhutan, India day1-1 Haneda→Bangkok→Paro
Bhutan, India day1-2   Paro→Thimphu
Bhutan, India day2-1  Thimphu, Jigme Dorji Wangchuck National Referral Hospital
Bhutan, India day3-1 Thimphu→Punakha
Bhutan, India day3-2 Thinlaygang BHU
Bhutan, India day3-3 Punakha District Hospital
Bhutan, India day3-4 Punakha 
Bhutan, India day5 Ahmedabad, India International Conferance of Kangaroo Mothers Care  1st day 
Bhutan, India day6 Ahmedabad, India International Conferance of Kangaroo Mothers Care  2nd day
Bhutan, India day7 Ahmedabad→Delhi→Bangkok→Narita

それにしても。
気持ちがとーってもリフレッシュ☆しかも、仕事に対するモチベーションもup。
早いところ夏休みボケを治して、しっかり仕事したいものです。

Nov 15, 2012

蘇生その2

先日に引き続き、再び蘇生に立ち会いました。
今回は、少しは見学者というよりは蘇生者に近づけたのかな。
baggingをして、挿管をしました。

先日の子で見ていたから。
やるべき事は冷静に考えれば分かる。
だけど、そんなに考えられない。
先輩たちが次々と指示を出して行く。

苦しくって苦しくって生まれたその子は、幸いにも蘇生に反応しました。
心臓が動き始めた。

怖かった。
けど、先生たちが沢山いたから、怖くなかった。

生まれる子の具合が悪いから、と夜中に呼ばれたら。
一人で蘇生するなんて、まだまだ難しい。
それ以前に、怖い。

頑張らないとな。
どんな時もちゃんと前に前にと進めるように。

Nov 13, 2012

剖検

亡くなった子供たち・赤ちゃんたちが受けられる最後の検査。
全ての亡くなった子供たちには受ける権利があります。

とは言っても、お話をしにくい検査ではある。
お子さんを亡くしたばかりで、つらいだろうに、そのお子さんの体にメスを入れて体の中を調べるだなんて、言いにくい。
のだけど、と言っても、なんで亡くなったのかをはっきりさせる最後の機会ではあります。
また、剖検で分かることから、将来同じような子がいた時の治療にも役立っていきます。
火葬してしまうともう出来ない検査ではあるので、辛い時期に決断を迫ることになる。
自分だったらどうするんだろう、って思うけど、分からない。


今日、初めて赤ちゃんの剖検に立ち会った。
大人と違って、小さすぎるので、剖検の台には乗せられないので、小さな小さな台に乗せての剖検でした。
臓器の重さを量るのも、小さな台所用のはかり。

途中で見てるのが辛くなっちゃった。
頑張ったんだ、っていうのが分かって、辛くなっちゃった。
あまりに小さくて、あまりにはかなくて。
頑張ったんだね。

私にとって、貴重な経験をさせてくれた赤ちゃんに感謝をするとともに、ご冥福をお祈りします。

Nov 12, 2012

新生児蘇生

初めて、薬剤まで使った蘇生をみた。した、とは言えない。
できないもの。

息が出来ないかと思った。
心臓動いて。心から思った。
胸骨圧迫を続けて、挿管して呼吸管理もして、心臓を動かす薬剤を入れて。

時間があっという間に過ぎた。
心臓が動かない。血液ガスの結果は最悪だった。
血液の中のバランスは目も当てられないくらいに崩れていた。
薬を使っても使ってもダメだった。

1時間以上経過していた。
部長の先生が言った。
「お母さんに抱っこしてもらおう。」

途中から見ていられなくて、外に出ていたご両親が呼ばれた。
お母さんに抱っこしてもらった。
抱っこしてもらった時刻を確認時刻とした。


超早産児の中でも超早産の子。
普通に考えても生存率は半数未満のような週数。
分かってはいるのだけど、でも見ていて辛かった。

生きることが出来なかった子がいる。
今生きているのは、生きることが出来た子が大きくなった我々。
だから当たり前のようだけど、生きられているって幸せな事なんだと思う。
その裏には、生きることが出来なかった子たちがいるんだから。

Nov 7, 2012

悲鳴

今日、生まれてからずっと担当させてもらっていた子がお星様になりました。
私、看取りってしたことがありません。
(ERにCPAOAで運ばれて来た人は除く。自分の担当患者さんでのお看取り)
だから、最期の最期の瞬間って見た事が無いんです。
死亡確認を取ったこともありません。ドラマの中で見た事があるかな、くらい。

乏尿になって10日、無尿になって3日。
今朝の採血でKが8台まで上がって来ていました。
だから、覚悟はしていて、朝から他の患者さんの用事がない限り、張り付いていた。
ママが面会に来ていて、一応今まで通りだったんです。
でも、あんまり声を出さない子なのに、泣くときも泣き顔と涙だけで泣き声は上げない子なのに、今日は午後から私の顔を見るとぎゃーーーって悲鳴を上げていたんです。
ママと看護師さんとは、「私何かしたかなぁ?嫌いになっちゃった?」とか言ってたんですが、すごく嫌な予感がしていました。

比較するのはおかしいんだけど、前に飼っていたウサギがお星様になったとき。
鳴けないはずのウサギが、最期の間際に、ぎゃーって悲鳴を上げたんです。
今考えても不思議なんだけど、なんだけど、鳴いたんです。
呼んでくれたんだ、って私は解釈してるんですけど。

同じだった。
普段泣かない子なのに、ぎゃーーって必死に声を出していた。
怖かった。

その1時間後。
突然、呼吸をしなくなりました。
他の子の呼吸が悪くて、少し目を離した瞬間のことで、別の看護師さんが飛んで呼びに来てくれました。

覚悟はしていたものの、あまりに急なことで私もどうしたらいいか分からず(親御さんとは前から、胸骨圧迫や強心剤は使わない、気管挿管はしないけどmask baggingはする、と話し合いをしていたんですが。)mask baggingを必死にしながら、上の先生を呼んでもらう。
上の先生が来てくれて、mask baggingをしても、心拍数が100に乗らなくなってきて。
ママに、呼吸をしなくなってきていること、だから大至急他の家族に連絡を取ってほしいことを伝えて。

最期、ママの抱っこにして、お顔が見えないから、とmask baggingを止めた途端、心拍数が低下、flatになっていった。
ママは抱っこして、泣きながら、その子を妊娠してからのいろんな思い出を語ってくれた。
いや、語ってくれたというよりも、自分とその子に言っていたのだと思う。
私はただ相づちを打つ事しかできなかった。

客観的に冷静に見れば、児にとっては幸せな最期だったのかもしれない。
比較的落ち着いていて、抱っこしてもらっていつも通り過ごして、そしてそのまま抱っこしててもらって最期を迎えられたから。一人じゃなかった。

でも、悲しかった。
家族ではない、担当医の私でも、喪失感は大きかった。
大人と違い、両親に抱っこされての退院。お見送りをして。
夜中に家に帰ってから、しばしぼーーっとしてしまった。

ご冥福をお祈りします。

Oct 23, 2012

引かない

私、引きません(笑)

ホント、患者さんを引きません。
学生の頃からそうでした。ERを回っていても、私が初療室にいると救急車が来ない。
研修医になってからも、当直はほとんどが寝当直。

ただし、診たい!って言っている疾患は診れることがほとんどだし、日中はひきます。
なので、当直はほとんど何もないんだけど、日直はそれなりです。
お得といえばお得、成長が遅くなると言えば遅くなる。

逆に、平和なはずの日にすごく荒れたり、ひく先生は非常にひきます。
病院の七不思議。なんでですかねぇ?
(あ、ちなみに、普通の人は引いたり引かなかったりちゃんと波があります)


NICUに来てからもそうです。
私が当直中は非常に平和です。

生まれるかも!(しかも、具合悪そう!)って21時に言われて。
覚悟していたのに生まれないままに当直が終わり。
翌日の14時に、あまりに生まれなくて確認したら「まだ時間かかります。」って言われたので、諦めて私が帰って。
帰った20分後に「生まれます!」って他の先生が呼ばれるという。。。

おかしい。
そして、昨日もしかり。
当直あけ。非常に平和だったため、16時に帰宅。
今朝行ったらNOを吸っている、17時に緊急帝王切開で出生した子が。。。
なんだかなぁ。

Oct 22, 2012

心を無にする

先輩の言葉です。

辛くて辛くて、でも直接話したりしたら泣いちゃいそうで。
その患者さんを知っている先輩にメールをしたんです。
どうしたらいいか分からない、と。

言われました。
何が正しくて、何が間違っているかわからないのが臨床の場だけど、その中で悩んでぶれて良いと思う、と。やってきたことは間違っていないと思う、と。
その一言になんだか救われました。

悩んでるんです、どうするのが患児にとって一番いいのか。
悩んでるんです、どう話をもっていくのがご家族にとって一番いいのか。
今の事もそうですが、今後の事もそう、その子がもし亡くなってしまった場合のこともそう。

考えたり悩んだりしてもぶれない方がいいよ、っていうアドバイスをもらったこともあります。
それもそうだと思うんです。私がちゃんと筋がある治療方針を立ててご家族にお話をする方が説得力もあるし、ご家族も安心したり信頼してくれるとも思う。
結局今のところ特にぶれずに来てますが、でも、ぶれてもいいって言われたことですごく楽になりました。


そして、言われました。
いろんな事を言われることがあるけど、そういう時はひたすら心を無にするんだよ、って。
そうやって自分を守りながらも、心の中の強い意志をしっかりと保ち続けて、良いも悪いも受け入れた上で、子供たちのために少しでも現状より前に進んでいくのだと努力するのだ、と。



心を無にする。できそうでできない。というか、そもそもできそうにない(笑)
でも、そうしていかないと、自分の心を守っていけない職業ですよね、きっと。
そして、そうしていかないと、冷静に患児にとって最善のことを模索することなんてできませんよね。


医師。
多分、一般の人が想像するよりも、はるかにシンドイ仕事だと思います。
体力的にも、精神的にも。
真剣に向き合おうとすればするほど辛くなる。キツくなる。
でも、そこから逃げずに向き合っていくしかない。

Oct 18, 2012

仕事でしょ

患者さんのご家族の言葉が胸にささった。

「それが仕事でしょ。」

分かってるよ。仕事だよ。この仕事を選んだのも私自身だよ。
でも、いくら仕事とは言っても、人相手のこの職業、そう簡単に仕事って割り切れる訳じゃない。
患者さんが苦しんでいるのを看るのは辛いし、その苦しみを取ってあげたいって思って出来ることを必死に探して、いろんな人に話も聞いて、朝早くから夜遅くまで必死にやってる。
もちろん、それが仕事なんだけど。

でも、辛かった。
とある子のご家族。
医学的には、もう限界(生命的にも危ないくらいの限界)で、気管切開が必要だと私たちは思っている子。
現在の児の状態も説明してるし、挿管のメリットデメリット、気管切開のメリットデメリットもお話してきた。

確かに、いくら命が危ないとは言っても、話を急いでしまっていた私も悪いとは思う。
これに関しては、すごくすごく反省もしています。

だけど、私の仕事を減らしたいから気管切開をおきたい訳じゃない。
私だって好き好んで気管切開なんて勧めない。

ご家族に言われました。
「bagging(用手で人工呼吸をしてあげること)の手間が減るから気管切開を急ぎたいんでしょ。」
「でも、それをやるのが仕事でしょ?」

半年以上お話を重ねて来たご家族からの言葉に衝撃を受けました。
悲しかったというのもそう。

出生後からずっと担当している者として、状態が悪いから沢山ベッドサイドにいてbaggingやらの処置をしているのは当然ながら、状態が悪すぎていつ急変するのかが怖くて、ここ数週間安眠なんてしていないくらいに考えて、いろんな人に意見やアドバイスももらいながら出来る限りの事をやってきていて。
そんな苦労を一言で否定された気がしました。

そして、それ以上に、ご家族があまりに児の現状を分かっていないことにも驚いた。
私たちの手間云々ではなくて、その子が限界で危ないっていう話をしてるのに。
朝も昼も夜も苦しくて苦しくて苦しんでいるその子を看ているのが辛くって、その子がいなくなってしまうのが怖くて、「単に仕事で看ているだけの」私ですら、裏で何回泣いたか分からない状態なのに。
どうしてご家族が子供の苦しみを分かってあげないの?
来る時に極力落ち着いているようにしている、っていうのはあるにせよ、目の前で苦しくなったことだってあるでしょ?どうして?

受け入れたくないという気持ちもあるのだと思う。
来た時に落ち着いていることがあるとそれでホッとして全然問題ないって思いたいのも分かる。
気管切開したくないのも分かるし、望んでいた元気な子ではなかったのかもしれない。
だけど。


この状態で、言葉上は同意をもらえても、児の状態をちゃんと理解しないで気管切開を置いてしまったら。その状態で急変したら。
私に怒りをぶつけて収まるのであればいいけど、それではご家族は納得いかないのではないか。
でも、一方で気管切開を勧めて来たのに、状態が悪すぎて麻酔がかけれなくなって施行できなくなったらそれはそれで後悔が残るのではないか。


いろんな想いが交錯して、カンファ室でふと「気管切開おかない方がいいんですかね」ってもらした。
ご家族に「それが仕事でしょ?」と言われたことは伏せて。
ただ、現状の理解が非常に悪いという説明をして。

ご家族の一言でぶれるのは良くないよと言われた。
主治医として、気管切開が必要だと考えてるんでしょ?と。
主治医として、何がその子に必要なのか、何がその子にとって良いのかを悩んで考えるのは必要だけど、必要・良いと思うことに関して、ぶれないで一環した意見でいいんだよ、って。

ふと涙が頬を伝ってしまった。
他の友達や先輩はともかく、今一緒の部署にいる先輩たちの前では絶対に泣かないって心に決めていたのに。
やってしまった。しかも、私よりも辛い思いをしているだろう先輩を前に。
そのことで更に凹んでしまうという悪循環。
大丈夫、今夜寝て断ち切ろう。明日からまた明るく頑張ります。
私のお話の仕方がまだまだ下手くそなんだろうとは思います。
またご家族とお話してみます。

Oct 14, 2012

私は死ぬことよりも、死にゆくことが怖い。
だから、CPAOA(cardiopulmonary arrest on arrival 病院到着時心停止)よりも、目の前で時間をかけて徐々に死んでいくという状況が怖い。

だから今の状況が1番嫌。
どんどん死に向ってるのを肌で感じて泣きたくなる。
どうにかしたいのにどうにもならない。
見ててしんどいくらい苦しいのは分かってるのに、どうにもしてあげられない。 


これも医者の仕事なんだよね。
主治医担当医として。
ご家族のご希望も聞きながら最善をつくして。
ご家族が悔いなく受け止められるように少しずつ準備もして。
一人一人の子がかけがえのない命だから。

今の私にはまだまだ出来ない。

自分が1番動揺してると思う。

Oct 11, 2012

在宅医療を進める

ちゃんと退院して、家族がいるお家に帰ること。
当たり前のようで、当たり前でない児や家族もいる。

重症すぎて帰れない子。
家でみれそうだけど、家族の状況としてみれない子。
親御さんの受け入れが不良すぎて帰れない子。
いろんな子がいる。

最近ふと思う事。
ご家族と児と双方の幸せの折衷点を見つけることも医者の仕事。
そして、児の幸せを願うのと同時に、ご家族の気持ちを最大点考えることも医者の仕事。

児の疾患によっては、沢山のハンデを持つ場合だってある。
その時に、ご家族の生活と児の生活や生命と双方の幸せを考える必要がある。
どちらも大切だと思う。

児の疾患によっては、生命予後が悪い場合だってある。
その時に、ご家族が納得して受け入れられるかどうか。
ご家族に悔いが残らないように、ご家族にとって突然の別れにならないように、ご家族がこの子幸せだったって思えるように。

そんなことを考えるようになりました。
まだまだ上手になんてできないんだけど。

Oct 8, 2012

母乳育児支援セミナー

@名古屋

ちょっと、母乳について勉強したくて、行ってきました。
ママたちに聞かれた時にしっかり答えたり、ちゃんと指導したりしたくて。
NICUに入院している子たちにとって、母乳って大切な治療の一つ。
そして、ママたちにとっても、自分たちができるかけがえのないことの一つ。

という訳で、はるばる名古屋へ。
受講料も馬鹿にはならないものの、かなり勉強になりました♪
体重増加との関連、黄疸の話や早産児にとっての母乳の話、どういう風な哺乳をしたらきちんと哺乳ができるのか。

楽しかったー♪
勉強になったー♪
この半年、いろんな勉強会に行かせてもらっていて、いろんな場所でいろんな話を聞きながら、学んでます。
行かせてもらえるって幸せですよね。

Oct 4, 2012

赤ちゃんの権利

こどもの権利じゃないけど、赤ちゃんの権利、っていう言葉。
どこかにありそうではあるけど。

うちの部長の言葉が印象的で残っています。

赤ちゃんの権利。
・ご家族にいっぱいいっぱいかわいがってもらえること
・ママのおっぱいを飲めること


そりゃそうだな、って言われてみればそうなんだけど。
だけど、重症な子の一番最初のご家族への説明の時に部長が言っているこの言葉。
半年前の私は言葉をただ理解していたんだな、って。
今の私にはストンって心に落ち着く場所がある感じ。

そう。
ご家族にめーいっぱいかわいがってもらえることは赤ちゃんの権利だし、赤ちゃんの幸せ。
ママのおっぱいを飲めることは赤ちゃんの権利だし、赤ちゃんとママと両方の幸せ。
当たり前のようで、実際に働いていると感じる深さ。

Sep 30, 2012

学生時代に想いを馳せる

考えてみると、学生時代は臨床を知りませんでした。
いえ、学生時代だって実習があるから、現場には少しは出ます。
そして、その時に実際の現場から学ぶ事は多くて、沢山のことを思ってきました。
だけど、あくまでその瞬間の医療を見ていて、いいとこ取りのような、後先の無い医療を見ていたのだな、と。

考えてみると、 研修医時代は考えが浅すぎました。
いえ、今だってまだまだ浅いんですけどね。
学生時代と比べれば出来ることもやっていい事も増えました。
学生時代と比べれば患者さんのことを総合的に考えるようになりました。
でも、研修医時代は入院のその間のことを考えていただけで、生活背景についてなんて考えていなかったし、自分自身だけの判断で物事を進めることが少なかったです。


そして今。
今思うことは、今の私はようやく半人前。研修医時代は半人前とさえ言えないような、学生に毛が生えた程度でした。

今だってかなり甘やかされた現場にいるのは分かっています。
だけど、今の私は前よりも患者さんの背景やご家族のことを考えられるようになったし、責任を持って退院後のその後のその子の人生についてまでささやかながら考え始めました。
 
検査方針や治療方針の決定。
重症な子のご家族とのお話や検査や治療のIC、現在の状況や今後の方針のIC。
その子の背景を考え、入院中にやること、退院後にすることを考えたり退院時期の調節や他科の先生との相談。
いろんなことに悩みながら、それでも私なりにちゃんと責任を持って自分で考えて、上の先生に相談しながら決定して、 そして、次に活かす。

そんな毎日を繰り返している中で、今日は学生さんたちの勉強会?セミナー?にOGとして顔を出してきました。
優秀な人が沢山。でも、人形や模擬患者さんに向かう態度や言葉、細かいことが気になってしまった。
優秀がゆえに、学生のシュミレーション学習、という枠を超えて、実際の医療現場に照らし合わせてしまったのだとは思うのですが。
どうもしっくり来なかった。

学生時代は目の前の模擬患者さんにただ必死にお話を聞いて治療を決めて、だったけど。
実際には、その一つ一つにものすごい背景がある訳で。
実際には、その一つ一つをやる時にはいろんなことがからみあっている訳で。
大人になったんだなぁ、私。まだまだだけど、それでも学生時代と比べれば全く違う。

Sep 28, 2012

苦しい

正直に言おう。
最近、仕事が辛い。

朝起きて仕事に行くこと自体は嫌でも何でも無い。
仕事自体も嫌いではなく、むしろ新生児科に行きたい私にとって、今の仕事は好き。

そうなんだけど、最近辛い。
でも、何が、っていうのが自分でもよく分からなくて説明も難しい。
だけど、辛い。

重症な子たちの行く末を考えてしまうからかな。
軽症な子も重症な子も。ご家族に沢山愛情をもらって育って欲しい。

Sep 19, 2012

2年半後を見据えて

小児科の中でも新生児をサブスペシャリストにしようと思っている私にとって、NICUを回っている今年の経験は大切なんだろうと思うんです。

いろんな子を診てきました。
23週の超早産児の子、-4.5SDのsevere FGRの子、胎便性腹膜炎の子、MD twinとTT tripletの子たち、27-35週の様々な早産の子たち、超低出生体重児の子たち、原因不明の先天異常症候群の子、MASの子、NOを回した子、21 trisomyの子、血液疾患で転院になった子、PDAの手術の為に転院になった子、経管栄養併用で退院になった子、social problemがある子、重症黄疸がある子、皮膚疾患の子
などなどなど。挙げていったらきりがないくらい。

NICUに来てすぐは、私だけが一番の新人で行ったこともあり、重症さんを次から次へと担当して、その後、先輩たちが入れ替わった頃には中等症を次々担当させてもらって、沢山沢山学ばせてもらってきて。
自分の中でも、どうしたらいいかが全く分からなくて上の先生に完全におんぶに抱っこ、という状態からは少し抜け出して来て、自分である程度は診られるようになってきたかなっていう自信が少し付いて来たところ。

あと診ていないのは、染色体異常の子、在宅に移行する子、心疾患の子、重症仮死の子、けいれんなど神経疾患の子とか。
もちろん、それ以外の珍しい疾患はもちろん担当していませんが。

そんな最中、とある染色体異常の子を担当することになりました。
心合併症がある子なのですが、心疾患を担当するのも初めて。
診てない疾患の2つがある子を担当することになり、焦ったかのように勉強をしている状態です。


今年沢山沢山経験させてもらって、2年半後に戻った時には今よりも少しは一人でまかされても大丈夫なくらい、病棟を少しでも支えられる人になっていたい。
もちろん、今も大事で、大好きな先輩I先生の負担を少しでも重くしたくないし、他の先輩先生たちと上手く症例を分けていきたいとも思ってます。
あと半年ちょっと。できるだけ沢山を学んで吸収したい。

Sep 16, 2012

なんで新生児?

新生児決定?
なんで新生児?
って聞かれました。

多分、新生児をサブスペシャリティーとして選ぶと思います。
途中、循環器の勉強はしたいと思っていますけど。

でも、多分新生児を希望している理由はみんなが思っている理由とは違う。
別に、救急だとか蘇生だとか、そういう部分に引かれている訳ではないんです。

私が新生児を希望しているのは、同じ子をずっと幅広く診ていけるから。
・生まれた時の蘇生
・急性期の集中管理
・慢性期管理の哺乳やら体重やら呼吸
・退院してからの発達をずっとフォローしていける

もともとは高校生の頃から新生児医療があることを知っていて、こういう医療がしたいって思って、それも医者になることの大きなきっかけだから。 実際に新生児を知って、理由は少し変わって、更に引かれるようになったから。
そう思うと、恐らく他に揺らぐ事はないんだろうなぁって思います。

Sep 15, 2012

医療セミナー

関連病院の先生たちが集まって、症例報告だったりいろんな発表をする会です。
まぁ、いわば身内で行う小児科地方会的な感じの会です。

私は今回、先週の小児科埼玉地方会に続き、観血的血圧測定に関する実験の発表を行いました。
まだまだ原稿はばっちり用意していくし、噛んじゃうし、質問もタジタジだし。
うー、、、って思って終わりました。


この会、最優秀演題と優秀演題を選んで、会の後の懇親会で発表するんです。
で、まさかの私が最優秀演題でした!!



曰く、スライドはちゃんとまとまっているし、発表も堂々としてたし、質問への答え方もしっかりしていたし、とのことで。
もう、ビックリ。

実は、新生児の先生たちに相談があって、懇親会の前に病棟によってたんです。
そしたら、新生児の先生のPHSに、はやたま(&一緒にいた後輩)を会場に行かせるように、っていう電話が入ったんです。

「沢山人がいるのになんでばれたんだろうねー」って言いながら行って。
「優秀演題とか失敗した私には関係ないし、遅れていった分今から美味しいもの沢山食べよう!」って後輩と食べていて、カツオを口に入れた瞬間に名前を呼ばれてビックリ(笑)

来ないから探しながら待ってたんだよーって言われました。
今思えば、最優秀演題賞を渡すのに、私がいないから捜索されてたんですね(笑)

 いやはや。
諸先生と諸先輩方に感謝です。
だって、何を出すのかって決めたの部長の先生だし、先生の言う通りに実験をして結果をまとめてスライドにしただけなのに!
しかも、他の病院の先生たちはだいたいが症例報告(こういう子がいました、っていうタイプの発表)なのに、私だけ実験の話だし。
(事実、相談の為に終わった後に病棟に行ったら、新生児の先生にはあの演題でよく取ったね、って言われたし)

驚いたけど、嬉しかったです。
副賞で頂いた図書カードで、早速、呼吸理学療法の参考にする本を買おうかしら。

感謝

私が当直中に初めて引いた子。
先輩を呼んだけど間に合わなくて、初めて一人で蘇生をした子。
重症で、入院させてからの方針とかは先輩がほとんど決めてくれてたけど。

私にとっては、本当に感謝でいっぱいな子なんです。
あの子がいたから、当直とか初期蘇生の恐怖がかなり減った。
(重症だった場合の入院後の方針はともかく)
あの子をほんの18時間だけど担当させてもらって、当直の時の私が少し自立できた。
だから7月からの私はきちんと立っていられたんだと思う。

そんな、沢山感謝していた患者さんが、今週亡くなったと知りました。
専門治療が必要だったため、当直中に生まれて、次の朝には転院が決定していた子。
転院先は大学。ちょくちょく話を聞いて、現状を聞いてはきていて。
ずっと、厳しい厳しいとは分かっていたんですが。
実際に亡くなった、って聞いて涙が出るかと思いました。

ありがとう。
本当にありがとう。
ご冥福をお祈りします。

Sep 11, 2012

IC

ご家族に重要なお話をする際は、ご両親揃って、が基本です。
そして、医療者側も複数立ち会います。
医師二人と看護師、とか。

看護師はもちろんのこと、ご家族にとって一番近い位置にいる医師は、本来は一番厳しいお話はしません。
お話を聞いた後に、ご家族に寄り添って、フォローをする役割があるから。
 

今私が担当している、とある厳しい患者さん。
上の先生と一緒に担当していたのですが、その後上の先生は異動。
今はほぼ私一人でフォローしている状態でした。
1-2ヶ月に1回、現状と今後方針に関してのお話ををする際は部長の先生を引っ張りだして来てお話をしてもらったりしてきました。

徐々に厳しくなってきていて、どうしても辛くなってしまったり、どうしていいか分からなかったりが増えて来てしまって。
厳しい話も小出しにしながらママに伝えて来ていて。
でも、この先の事を考えると一人は無理、というのは目に見えていて。
先輩のI先生が一緒に担当してくれることになりました。

すごく安心している私がいる。
当たり前かもしれないけど、まだまだですね、私(笑)
それでも、ずっと担当してきている担当医であることは変わりなくて。
今後の方針を決めたりするのを、先輩に任せっきりにするのではなくて、ちゃんと自分で責任を持って決めていきたい。

Sep 7, 2012

医者は常に冷静でいなくてはいけない。
なんて、誰が言ったのだろう。

私もそう思う。
医者は冷静でなくてはいけない。

自分の感情で冷静でいられなくなり、冷静な判断が出来なくなってしまってはいけない。
プライベートのことで何があろうとも、仕事は常に一定に出来なくてはいけない。
患者さんが急変しようとも、パニックにならずに冷静に一番よい対処方法を探らなくてはいけない。

そう思っているのに。
今朝出勤して、私の患者さんの具合が悪くなっているのを見たら、不覚にも涙が止まらなくなってしまった。
あまりに止まらなくなってしまい、一度カンファ室に戻り、涙を拭いて目を乾かしてから出直したほど。(幸い、誰も出勤する前だったからばれずに済んだと思う)


今までだって、患者さんの具合が悪くなることはあったのに。
なんで今日に限って涙が止まらなくなったのか分からない。
いろんな細かい要因が重なってしまったからだと思う。

その時々でちゃんとやれる事はやっている。
対応が遅かった訳じゃないし、その時々の判断が間違っていた訳じゃない。
今思い返してもそう思うし、先輩にもそう言われた。

だけど、なんでだろうね、涙が止まらなかった。
まだまだプロフェッショナルじゃないんだろうな。

Sep 4, 2012

赤コンセント


今日、夜20時過ぎ。
NICUでクベース(保育器)の中に手を入れて、赤ちゃんに処置をしていた。

突然NICUの電気が落ちた。
NICU全体の部屋の電気は消え、非常用のみ点灯している状態で薄暗い。
事態を理解出来ずに驚いて動きが止まって周りの看護師さんとかを思わず見てしまう私。
(あとから、雷が病院のすぐそばに落ちたらしい、と聞いたけど、その時点では雨が降っていたこと・雷が鳴っていたことすら知らなかった。)

人工呼吸器など命に直結するものは一瞬たりとも電気が落ちなかった。
NICUの超未ちゃん(出生体重1000g未満)たちのクベースの電源は振り返った時には既に(なのか、一瞬も電気が落ちていないかは不明)普通に動いていた。

そっか。
赤コンセントってすごいんだね。本当に、一瞬たりとも電源落ちないんだね。
患者さんの命を守っているんだね。

病院のコンセントは何種類かあります。
普通の電源は黒色。
非常用電源は赤色。その中でも、一瞬たりとも電気が落ちないものと、数十秒のタイムラグがあってから自家発電などで電気が回復するものとがあります。
あと、多分病院によっては(病棟によっては?)緑があったりもすると思う。

NICUは赤コンセントにあふれています。
GCUになると、黒コンセントも多いのだけど。
普段あんまり意識していないけど、これだけNICUの中が赤コンセントだらけというのは、それだけ命に直結するような機器を沢山使っているということの裏返しでもあるのかもしれない。
 
知識としては知っていたけど、停電に遭遇したのは実は始めて。
患者さんの命を守る上で、電気は大切なのだ、と改めて実感しました。

Sep 2, 2012

私の子

私が担当させてもらっている子たち。
重症な子もいれば、軽症な子もいる。
スムーズに退院出来る子もいれば、長期入院の子もいる。
社会的問題を抱えている子もいるし、 おじいちゃんおばあちゃんもみんな来てくれる賑やかな子もいる。

まぁ、共通しているのは、私の子たちは主治医に似ず(先輩たちには、主治医そっくりーって言われるけどさ。)、とっても元気で、囲ってもらってるポジショニングマットとかタオルとかを乗り越えていく暴れん坊さんたちということかしら(笑)


最近思うんです。
重症な子、目を引く子、派手な治療をしている子は注目される。誰もが担当したがる。
今の私にとって、そういう子たちを担当させてもらうこともすっごく大事。
だけど、同時に、病棟の中では地味かもしれない、すぐにGCUに出されちゃうような、少し小さい少し早く生まれた子の管理を(ほぼ)一人で出来るようになることもとっても大事。
私にとっても、だし、病棟や先輩にとっても。

NICUに行ってすぐは、重症な子を沢山担当させてもらってた。
Mo先生がいる最初の2ヶ月で沢山経験しておいた方がいい、という上の2人の先生たちの判断だったのだと思う。
その2ヶ月で学んだ事は大きい。

今も思うんです。
あの2ヶ月で基礎を教わった。
あの2ヶ月があるから、今の私がいる。
あの2ヶ月がなかったら、私はもっと路頭に迷っていた。

そんな、重症に囲まれた数ヶ月を過ぎ。徐々に、中等症を担当するようになった。
思えば、普通は順番は逆なのかもしれない。

だけど、重症を沢山見ていたから、中等症の子たちはそこからの引き算ができた。
この子はこれは大丈夫だから省略して大丈夫、この検査はいらない。
最初は、その判断が出来なかった。
検査どこまでやったらいいの?どこまでがっつりフォローするの?
眼科って何週まではやるの?MRIは?ビタミンの補充は?

そんな半年ちょっとを過ごして来て。
最近思うのが、中等症の子たちを、私が一人で管理出来るようになることがまず一番の目標なのかな、と。
検査をもれることなくやって、必要な補充をきちんとやって、心臓も脳も大丈夫なことを確認しながら、呼吸を見守って、体重増加良好に保って、直母がちゃんと飲めるように支援して、必要な退院前検査をして。
リスクが比較的低めの子たちを、何事も無く元気に退院に結びつけること。

極低の子たちをきちんと一人で見られるようになりたい。
その上で、超未ちゃんたちの管理もきちんと自分主体で決めていっても大丈夫なくらいになりたい。
そして、早産とか低出生体重児とか、そういう問題ではない疾患を持っている子たちの対応も少しずつ少しずつ出来るようになりたい。
MAS、けいれん、染色体異常、血液疾患、先輩たちが見ているのを横から見て、勉強する日々です。

学びたい事沢山。
何をしている訳でもなく、毎日が過ぎ去っている。
どうやって勉強時間を確保していくかが重要なんだろうなぁ。

Aug 27, 2012

浦島さん

教育セミナーから帰って来てビックリ。
病棟がちょーーー荒れている><

超未ちゃんが並んでいるのは知っていましたが。
そのうち一人が感染を起こしていた。
元気だった(私の担当の子)が感染を起こし挿管されていた。
知らない子が入院になって挿管・NO管理になっていた。
目を疑った。

そして、そんな浦島太郎さんの中、当直。
朝から昼過ぎまで、とにかくみんなの経過を追って、チャッチアップ。
当直中に、誰某さんの、って言われた時に、それ何の子だっけ?から始まる状態。

複数の先輩に言われた。
土曜日、セミナーが終わった時点で「終わりました。ありがとうございました。みんな元気ですか?」という主旨のメールを送っていた。
だけど、誰も真実は伝えてくれなかった。
言ったら、はやたまが土曜日の夜中とか日曜日に出勤してしまう、って思ったからって。

その優しさに感謝した。
だって、病棟がすごく荒れているのに。
乗り物酔いをしている私を出勤させずに休ませる為に、って口をつぐんでいた、って言うんだもの。
そんな先輩たちを少しでも支えられるように、少しでも足を引っ張らないように、頑張りたいって改めて思いました。

Aug 25, 2012

教育セミナー

未熟児新生児学会の教育セミナーに行かせてもらってきました。
病棟大荒れの中。
超未ちゃんの超急性期を置いて。

勉強になったのも当然ながら、楽しかった。
呼吸、循環、神経、など項目別の講義。
少人数でやる実技コーナー。(私は心エコーを選んだ)
そして、グループに分かれてのワークショップ。 (私は小児在宅医療を選んだ)

盛りだくさんで、まだ消化しきれていないんだけど、この時点でも明日の診療に直結するくらい沢山学んだ。
そして、なによりも、全国に沢山の知り合いが出来たのが大きい。
頑張ろう、ってすごく思えた。



ちなみに。
ワークショップでプロダクト賞(話し合いの中身が良かったグループ?多分?)をもらった為、次の熊本の未熟児新生児学会と、信州フォーラム(呼吸管理フォーラム)と、在宅医療研究会に招待されることに♪
実際に行けるかは別にして、嬉しかった。

Aug 21, 2012

超未ちゃん多発

私のパソコン、ちゃんと「ちょうみ」って入力すると「超未」って変換されてくれる(笑)

最近、うちの病院で超未ちゃんが生まれ過ぎです。
2-3週間に4人。しかも、本日は2時間差で2人でした。

人手が足りない><超未ちゃんたちの次から次へ面倒を見るだけで当直帯が終わっていくという。。。
先輩が「反復横跳びしているみたいだった」って表現してましたけど。
この忙しさおかしい!!

そして、これだけ生まれたため、私も一人担当できることに。
久しぶりの超未ちゃん。
いろいろと忘れたりもしてて、えっと、えっと、ってなりながらではありましたが。
頑張ろっと!

Aug 19, 2012

初めて向き合った死

私、死と向き合ったことがありません。
まともなお看取りをしたことがないから。

今日、IUFD(子宮内胎児死亡)の子が分娩になるから、と立ち会いを求められました。
N科がIUFDのお子さんの立ち会いを求められる事はあまりありません。
だけど、今回、私の当直中に、立ち会いを求められました。

生まれてきた子は、胎内で頑張ったんだ、っていうのが分かる状態でした。
苦しかったんだ、ってはっと息をのむような状態でした。
助産師さんが、少し整えてあげて(目を閉じさせてあげたりとか)、ご両親と面会して。
少し落ち着いた時点で一通り診察をさせてもらって。
胎内診断と矛盾しないことを確認。
私はそのまま静かに退室してきました。

亡くなったお子さんと向き合うのって初めてでした。それが、私の当直中に。
訳あって、意味あって、私の当直中に生まれて来てくれたんだなって、後で半泣きに鳴りながら先輩に電話して「大丈夫。全ては次に繋がっているよ。」って言われた時に思いました。

Aug 17, 2012

IUFD

IUFD = intrauterine fetal death = 子宮内胎児死亡
この業界で働いていて、聞きたくない単語の一つです。
いえ、この業界で働いていなくても、聞きたくない単語だと思います。

エコーで胎児心拍が無い事を確認して診断します。
胎動が無くなった、というママの自覚症状があって危機感があることもあると思います。
IUFDと診断がつけば、私たちNICUの医師が立ち会う事もありません。

IUFDという単語を私が知ったのが2ヶ月前(子宮内胎児死亡、という単語は知っていましたが、略称を知らなかった)、そこから私の知るだけで2例ありました。

何らかの先天性疾患の診断がついているまたは疑われている為、前々から私たちにもその児の状態が知らされています。
NICUの医師がprenatal visitと言って、出産前から赤ちゃんの事をお話に言ったりしていまし、その児の為に病床を空けられるようにベッドコントロールをしたりもしていて、児の状況の情報は産科と共有されるから。
そして、そういったリスク児がIUFDになった場合、その情報も共有されます。

今回聞いた児は、事前のprenatal visitの際に私も立ち会わせてもらっていて、パパママの顔も分かる児。
朝心拍が無くなった、ということを聞いて、前よりも実感を持ってIUFDであるという事実を認識しました。

そして、やはり思います。
先天性疾患を持っていても生まれて来れる児というのは、生まれてからも沢山のハードルがあるとはいえ、 生まれて来れるという時点で、生命力がある児なのだ、と。
先天性疾患というだけで流産は死産の高リスクなのに、ちゃんと生まれてこれるというのは、すごいことなのだと思うのです。

赤ちゃんのご冥福をお祈りすると共に、ママの気持ちの昇華もお祈りします。

Aug 11, 2012

境界線

流産と早産。
法律上の線引きは妊娠22週以上か、22週未満か。
もちろん、赤ちゃんが21週6日だから生きられなくて、22週0日になった途端生きられる、という訳ではなくて、22-23週台というのは1日1日で生存率が大幅に違います。

お母さんの命が危なくなるため21週6日で緊急帝王切開で出さなくてはいけない赤ちゃんがいました。
午後の遅い時間。あと数時間で22週0日、そんなタイミングです。

21週6日であれば、流産ですから、赤ちゃんに蘇生処置をとることはありません。
だけど、週数が間違っている場合もなきにしもあらずです。
私たちNICUの医師も立ち会いにいきました。
明らかに週数が違えば、蘇生をすることも無くもないから。


生まれた赤ちゃんは、21-22週相当でした。
蘇生処置はせず、見守ってあげて、頑張ったねって声をかけてあげて、タオルで包んであげて。
お母さんが意識がある状態であれば、本来はお母さんに抱っこしてもらうのですが、今回は全身麻酔下の超緊急帝王切開であったため、お母さんの意識は無く、私たちの見守りになりました。

ほんの数分前までは、お母さんから栄養や酸素をもらって生きていた児。
お母さんの命が危ないから、と外に出されてしまっても、いきなり心臓が止まる訳ではなくて、ゆっくり止まっていきました。
生まれて、ほんの数回だけ、死戦期呼吸のような動きもしました。
立ち会わせてもらった私だけど、そんなことは思ってもいなかったから、動いて呼吸(といっても、死戦期呼吸だから有効換気ではないけど)した時には、思わず息をのんでしまいました。


見守りながら、なんとも言えない心境でした。
分かってる。流産だし、蘇生処置をしたとしても、胎外で生きていけない。
分かってる。外から見て分かるほどに頭蓋内出血もしてて、助からないのは明白。
分かってる。そもそも、22週だって予後は決して良くない。蘇生をしない病院や国が沢山ある。

だけど、普段目にしているような23週の児と何が違うのかと言われると、分からなくて。
担当している児と被ってしまい、本当になんとも言えない心境でした。
赤ちゃんの表情が安らかな穏やかな顔だった、と感じたのは、そう思いたかったからでしょうか。でも、苦しそうな顔はしていなかったと思います。

Aug 7, 2012

迎え搬送

早産の赤ちゃんが生まれることが予想された場合、基本は母体搬送です。
生まれたての赤ちゃんを搬送するよりも赤ちゃんに対する負担が少ないので。

でも、どうにも間に合わない!搬送していたら救急車内で生まれちゃう!みたいな場合には、搬送せずに、そこの施設でお産になります。
その場合、私たちNICUの医師が立ち会いに呼ばれ、赤ちゃんをそのままお預かりしてきます。
それを、「迎え搬送」と呼んでいます。

今日、ここに来て初めての迎え搬送に行ってきました。
朝一に、昨晩当直だった先輩から電話が。
「今すぐ来れる?◯病院から電話があってね、29週の児がもう生まれちゃうから迎えに来てほしいんだって。」

電話をもらったのが6:54。
すぐに支度をして、家を出て病院まで自転車をすっ飛ばし。
7:02にはスクラブに着替えて準備万端。
女子とは思えぬこの速度(笑)

迎え搬送に行くとは言え、誰かはうちのNICUに残っている必要があります。
無医村になってしまいますから。
先輩は、担当の25週の児のことで離れたくない、と言う事で。
私と、同じく呼ばれた上のI先生で行く事に。

自治体の救急車に、クベース(保育器)と呼吸器やらが積まれたNICUの持ち物のストレッチャーを乗せて、いざ出発。
隣の市とはいえ、乗り物苦手な私にとっては一大事。
気持ち悪い、、、って思いながら到着。
産婦人科病棟まで駆け上がりました。

既に生まれてしまっていましたが、幸い、しっかり呼吸も出来ていて一安心。
赤ちゃんを連れて、救急車で帰ってきました。
目が回るーーー><

いやぁ、ここ4ヶ月ちょっとで5回目の救急車。
乗り物苦手な私にしては頑張ってます。
来る前には、こんなに乗るはずでは無かった気がするんだけどなぁ(笑)

Aug 1, 2012

半年

私が今の職場のNICUに来て半年になりました。
この半年、必死すぎてあっという間でした。

半年で成長したなって思うことも多々あります。
一人で当直をしていても、とりあえずは怖くなくなった。
赤ちゃんの初期蘇生と入院時の処置が出来るようになった。
ラインやCV、エコーなどの手技が少しずつ出来るようになった。
自分なりに考えて、赤ちゃんたちの方針を立てられるようになってきつつある。

でも、当たり前ながら、一方で私まだまだだな、って凹むことも多かったです。
心疾患が無いと思ったけど、実はあった。
ラインが入らなくて、上の先生を呼んでくることもまだある。
方針を決める時に、どうしていいか分からなくて上の先生の考えをとりあえず聞いてしまう。
いろんなこと(予防接種だったり、検査だったり)がまだ抜けてしまって、後で気付く事も多々。


そして。
NICUに来てから、命について、生きているということについて考えることが増えました。
いろんな境界線が引かれてしまう現場にいるからだと思います。
いろんなハンデをかかえて退院していく児たちを見ていて、その子たちがその後どうなるのだろう、という事も考えるようになりました。

でも、今の私は自分の中で消化しきれていなくて、自分の中での結論もなくて、お母さんたちと真正面から向き合っていける自信はありません。
数年とか10年とか経験を積んでいったら、少しは上の先生たちみたいになれるのかな。

まだ半年、されど半年。なんだか、今後の私の医師としての人生にとって、大きな一歩となった半年な気がします。
まだまだこれから。頑張っていこう!

Jul 30, 2012

歯磨き

とある長期挿管中の患者さんがいます。
呼吸器感染症のコントロールがつかず、困っている状況でした。
おそらく、きっと、唾液が肺にたれ込んでいることが原因だろう、と思いまして。

調べました。
口腔ケアの方法について。
そして、先週ついに歯磨き(といっても、歯は無いから口磨きだけど)を始めました。
方法は単純、お水とガーゼと綿棒です。

でも、驚く事なかれ。
歯磨きを始めてから、あれだけ困っていた感染症がピタッと収まったんです。
最初はたまたまか?とか思っていたんですが、1週間以上CRP(炎症反応)が収まっていたことがなくて、おそらくは本当なんだと思うんです。

口の中ってそれだけ汚いんですね。
頻繁に母乳を飲んでるし、ちゃんと嚥下するから、普通の児は大丈夫なだけなんですね。
歯磨きの大切さを実感しました。

Jul 17, 2012

外来

私、外来って好きです。
NICUに来てからは忙しくて、あんまり外来に遊びに(見学に)行けていないのですが、前の病院にいた頃は、毎日午後は外来で過ごしていました。

他の科でもそうですが、外来を見られるようになるというのは大切です。
NICUでは、入院が基本ではあるので、まずは入院が見られるようになることが大切ですが、その後の発達などの経過まで含めて診られるようにならないと新生児科医にはなれません。

でも、NICUのローテーター(小児科医になるのにあたり、新生児も半年から1年回る)は基本的には外来は担当しません。
その後何年にも渡ってみていく必要があるけど、いなくなってしまうから。
だから、基本的には退院後1ヶ月までの超早期の外来を除いて、常勤の新生児の先生が外来を見ていきます。

なのですが。
新生児希望、を(一応)明言している私だからか、外来を少し担当させてもらえることになりました。
自分で入院中に診た患者さんのその後を診させてもらえるんです!


ただ、私は一般小児科をまだ回っていないため、一般的な小児科の外来をしたことがありません。
なので、実際に外来が始まる1ヶ月後までに、少しずつ発達外来の知識を身につけなくては、と密かにけっこう焦っています。

そして、上の先生の外来を見学さえてもらう機会を作るべく、今日は外来見学をする!って思った日は午前中に必死に仕事をしています。
上の先生にも相談しながらやっていこうとは思っていますが、外来は基本的に自分だけの目を通って帰っていくので、きちんと漏れが無いようにしていきたいです。

今、退院後早期の1ヶ月以内の外来だけでもようやく慣れて来たところで、まだまだ前日に予習をしている私なので。
本格的な外来が始まる頃にはもう少ししっかりしないとなぁ。
そして、my小児用の聴診器を購入したいなぁ(笑)

Jul 8, 2012

感染症

超未ちゃん(出生体重<1000gの超低出生体重児)たちは感染のリスクに常にさらされながら生きています。免疫力は弱いし、体が小さいからすぐ菌が回ってしまうし。

私が今担当している超未ちゃんが、私の当直中に具合が悪くなってしまいました。
たった数百gの子だけど、でもそれでも、元気がある・ない、は分かります。

朝から元気がなくて、皮膚の色(顔色、というよりは全身の皮膚の色が変わってくる)が悪かった。
感染を示す値が高く、感染症と考えられたため、抗菌薬投与を開始。

そうこうしている間に、無呼吸発作(呼吸をお休みしてしまうこと)が頻発。
血便も出るようになってきてしまいました。
血便のためか、感染で消費されたからか、貧血も進行。

昼前にオーダーしていた血液が夕方ようやく届き(赤ちゃんたちには新鮮な血液を投与したいので、よほどの緊急時以外は数時間待って新しい血液を届けてもらう)、投与しようとしたら、不規則抗体が出てるからこの製剤は使えない、と言われ。投与できる血液製剤を取り寄せるには、検査用に4ml(60kgの人で400ml。貧血で具合が悪い人から献血と同量の血液を採るようなものなのです)の血液が必要だと言われ。
もう、泣きたかったです。

仕方が無いから、採血して検体を検査科に提出し、循環を保つためにAlb製剤を投与開始し。
そこまでは、上の先生にメールや電話で相談しながら、なんとか自分でも頑張った。
けど、だんだん呼吸のお休みがひどくなってきていて、これ以上は頑張らせられない、せめて呼吸だけでも楽にしてあげたいから挿管したい、って思った時点で無理でした。

上の先生に電話して。
挿管したい状況だけど、この児の挿管は難しい(難しいことが前回で分かっていた)から、可能なら来てほしい、と。

学会に行っていた上の先生が飛んで戻って来てくれました。
泣きたいくらいの心境で、どうしたらいいか分からなくて相談していた先輩もすぐ来てくれました。


赤ちゃんにとって、感染症は怖い。
分かっていたし、今までだって経験してきたはずなのに、自分一人しかいない当直の時に直面した時の心境はどうにも表しようがなかったです。泣きたかったです。
早く元気になってほしい。早めに気付けたから大丈夫だと信じたいです。

Jul 7, 2012

初期蘇生

BLSじゃないけど、最小限の蘇生が出来る事って大事だと思うん
です。大人なら、胸骨圧迫。新生児なら、mask bagging。
枝葉末節はどうでもよい。この1つの手技が出来るだけで救われる命・予後があると思うんです。

BLSだってby stander CPRが大事だから、市民講習会とかをやって広めようとしている訳で。
新生児なんて、ほとんどが病院や助産院で生まれるのだから。そこで働く人たちが確実に蘇生できればそれでよいと思うのに。

どうして、その最小限のことが出来ないのだろう。
どうして、その数分間に有効な蘇生をしてくれないのだろう。
どうして?

赤ちゃんにとって、胎内から外に出るというのは、とてもとてもとても大きな変化。対応できなくて、最初苦しくなってしまう子がいるのも当然。

軽度な呼吸補助を含めれば、10人に1人は蘇生が必要になると言われている。
その辺を歩いている人がうっ、って心臓を押さえて倒れてしまい、胸骨圧迫をする頻度より、生まれて来た赤ちゃんが具合が悪くて呼吸補助が必要になる頻度の方が圧倒的に高い。

分かっているのに、なぜ?
もどかしい。あまりにもどかしい。

今年中に、NCPRのインストラクター取ろう。
少しでも有効な初期蘇生を(というよりも、何なら、胸骨圧迫や薬剤投与、挿管は出来なくて良い。mask baggingだけ出来ればいいと思うんです)出来る人を増やしたい。
インストラクターを取れば、少しは口出し出来るから。

赤ちゃんたちを危機にさらしたくない。
大切な人生の一歩目。みんなにちゃんと踏み出してもらいたい。

Jul 5, 2012

冷静

当直中、初めて全くの一人で、具合の悪い赤ちゃんの蘇生をして入院にして処置をしました。最初から最後まで1人で、っていうのは初めて。
在胎35週。頚部に臍帯巻絡が2回あり、Apgar score 4/7。
呼吸ダメ、筋緊張著明低下、全身皮膚蒼白。

でも、不思議と怖くなかった。
前回、呼んだ先輩が来るまでの間に1人で蘇生してた子の方が何倍も怖かった。
状況を過小評価していたわけでも、私の能力を過大評価していたわけでもないと思う。
冷静だった。

悪かったから、酸素濃度を上げるのも躊躇わなかった。
40%まで上げた2分くらいの時点で少しpink upして来てるのが見えた。大丈夫、蘇生はできる。
3-4分の時点で自発呼吸がしっかりしてきた。でも無く元気が無くてずっと呻吟(うなった呼吸)していて。
5分のapgar scoreを取った時点でも、まだ具合はとても良いとは言えない状態だったけど、大丈夫と思えた。
苦しかった様子だけど、初期蘇生は出来てる。

pink upはしてるけど、皮膚蒼白だし呻吟だし筋緊張低下してるし、入院にしよう、と判断。
呼吸を落ち着けて、貧血の有無や苦しかった度合いを含めて血液検査をしよう。
脳低温療法にはならないし、この様子なら、数日で落ち着くはず。
ここまでの数分間、判断と次への行動に迷いはなかった。


赤ちゃんの口元からmaskを外せないような状況だったけど、ご家族への説明も、私はあくまで穏やかに、冷静に出来たと思う。
赤ちゃんの状況の説明。自分で呼吸をしてくれているけど 、まだ苦しくて唸りながら頑張ってるから、赤ちゃんの病棟に入院にして、しっかり呼吸補助などの治療をしてあげたいこと。

私が焦った様子を見せてはいけないと思った。
冷静に穏やかに事を進めなくては、と思った。
目の前にいるご家族が不安に思ってしまうから。

NICUの病棟に連絡をして、入院の準備を急遽お願い。
「今生まれた子がnasalが必要そうなだから、入院の準備をお願いします。」
赤ちゃんから手が離せない状態だから、電話もご家族の目の前。落ち着いているとは言え赤ちゃんを診ながら、でも声は穏やかに。
でも、入院の準備が出来たという連絡を待っている間に、余りに呼吸が悪くて私が手を離せなくて動けないから数分後に再度電話。
「ちょっとmaskから手が離せないから、とりあえずもう連れて行っていいですか?」

蘇生から、入院手続きから処置から、検査、判断まで。
初めて全部1人だった。

翌日、上の先生に確認したけど、やったことは正しかった。
「呼んだ方が良かったですか?」と確認したけど、「別に大丈夫だよ」って言われた。
先輩に言われた。「出来るようになって来てるんだよ。」
私も少しは戦力になれて来てるかな。

先週、先輩を呼んでいる状況下で具合が悪い子の初期蘇生を1人でしたこと。
先週、29-30週の子をアドバイスがない状況下で蘇生させてもらったこと。
先週から今週にかけて、何人かほぼ私だけで検査治療方針たてさせてもらってること。

先週から今週にかけて、この土壇場のギリギリのタイミングで、なんとか一応戦力になるくらいに成長できてきてると思う。
まだまだこれから。先生たちからたくさんたくさん吸収したい。
学び大き、成長の一年にしよう。

Jul 2, 2012

X day

1ヶ月くらい前から。
とにかく不安で不安で仕方がなかった。

不安だったのは、Nに行ってからずっと頼って来た先輩がいなくなること。
そして、いろいろとうまくやっていけるのか、という2つの点。

不安過ぎて、朝も自然と早く起きるようになった。
自立したい、って思って極力自分で判断するように背伸びをして頑張った。
ホント、いっぱいいっぱいだった。
医療面での不安、背景因子の不安。
この1ヶ月で何度泣いたか分からない。

異動となる先輩たちに、「いなくなっちゃうんだから」とか「ラストスパートだ」とか「7月からも頑張って」とか言われる度に、過剰とも言えるくらいに反応してた。
ある時は、「頑張って」って言われた時に、いつもなら「はい!頑張ります♪」って言うところ、言葉に詰まってしまい「もう私に『頑張って』って言わないで!!」って悲鳴をあげるように部屋を出てしまったこともあった。

とにかく不安だった。いっぱいいっぱいで余裕がなかった。
お世話になった先生だから、本当は笑顔で「ありがとうございました」って言いたかった。
でも、実際は1ヶ月間いっぱいいっぱい過ぎて泣きっぱなしだった。
私の状態を知っていた先輩が、「私(たちを)置いていくのが心配だ」と最後まで言っていたくらいの状態だった。


そして、送別会。
いなくなっちゃう先生たち、そして久しぶりに会った大好きな憧れの先生。
元々、話を沢山聞いてもらって、沢山励ましてもらって、沢山慰めてもらっていたけど。
送別会の時も、いろんな言葉をもらった。
みんな心配してくれてる。みんな励ましてくれる。その気持ちが痛いほど嬉しかった。
諸事情あって、私(だけ)素面だったのに。
涙が止まらなかった。笑顔でいたかったのに、涙を堪えることが出来なかった。

大丈夫。明日からも頑張れる。
大丈夫。倒れないしdrop outもしない。
大丈夫。泣いちゃうこともなくはないと思うけど。
大丈夫。周りに頼りながら甘えながら、でも、しっかり自分の患者さんは自分で診きる。
きっと大丈夫。

そう思えた。
自分の患者さんをしっかり診る、ということ。
研修で回っている期間だけ診ればいいや、というスタンスではなくて、きちんと患者さんのことを責任もって診きる、というスタンスで診るということ。
できる、頑張れる、って思えた。

そして、今日。
先輩たちがいない初日。ついに来たX day。
いつも通り、朝1時間半早く出勤して、自分の患者さんの把握、指示出し、そして、採血。
指示、処置をしていた時。看護師さんに言われた。
「先生、今日すっきりした顔してる」

実は、今日は目が腫れてたんだけど。
多分、いろいろと吹っ切れたんだと思う。
不安でいっぱいで仕方が無かった先月までと比べて。
吹っ切れて、「大丈夫」って思うことにすることが出来たんだと思う。

だって、Mo先生、S先生に「大丈夫」って言われて大丈夫じゃなかったことはないんだから。
だから。大丈夫。

Jul 1, 2012

在胎週数

在胎週数によって、赤ちゃんって大きく違う。
特に小さいうちは、1週の違いが、1日の違いが、大きな違いになる。

私が今、当直中に一人で診ていいと言われているのは、仮死とかのリスクがない33週以降。
逆に、29週以下の子たちや1000g以下というような子たちは絶対私一人では無理。

では、その間の子たちはどうなのか。
30週から32週の子たちは、状況によりけり。
少しストレスがかかっていて呼吸状態が安定していることが予測されるような子であれば診れるし、そうでなくてなにかしか具合が悪い事が予測されれば、上を呼ぶ。
初期蘇生に関しては私もある程度出来るので、大丈夫と思ったら一人で立ち会いをしてもよいし、それで蘇生を始めて無理そうであれば、その場で上の先生を呼ぶ。

そんな指標は前から示されてはいたものの。
自分で診れるような気がしていなかったのですが。
最後の最後。6月最後の週になって、ようやく少しだけ自信がつきました。

いえ、6月最後の週。
なんとなく嫌な予感がずっとしてたんです。
基本的に良い方良い方に考えていってしまう私ですが、どうしても嫌なイメージが拭いきれなくて不安に思っていたんです。何となく、某患者さんが、元主治医の先生と一緒にいなくなってしまう気がして。そして、その嫌な予感が的中してしまった。
自信がついた、なんておこがましい事を言えるタイミングでもないし、自分の無力さは非常に痛感しているのですが。


だけど、今週。
少しだけ安心したのも事実。

一つ上の先生にお願いをして、半ば押しのけてまで、今週の帝王切開の立ち会いを私メインでやらせてもらった。29週から30週の子たち数人。

私の思惑を察してくれたのか、初期蘇生時に両脇に一緒に入ってくれた先生たちも、普段なら「酸素上げようか」とか隣から神の声をくれるのに、何も言わない。
私の判断で、私の思った通りに蘇生をした。
あまり迷いはなかった。 先輩がいてくれたこともあって、怖いという感覚はなく、自信を持って蘇生に臨めた。

病棟に上がって来てからの処置も一通り出来た。
研修医の先生がつぶした後の血管にラインを入れることもできた。
エコーできちんと評価することも出来たし、その後の当直中にNCVが必要な判断も出来たし、一人で入れることも出来た。
きちんと全身状態を把握して指示をテキパキと出すことも出来た。

当直帯に起こったこともちゃんと対処したし、朝のmilk upや輸液の指示、エコーなどの処置もテキパキとして、自分の患者さん+αを診ることができた。

大丈夫。
私、ちゃんと成長してる。
私、ある程度であれば、自分でちゃんと診ることが出来る。
7月からもきっと大丈夫。

Jun 26, 2012

「かわいい」

我が子をかわいい、と思う事。
当たり前と言えば当たり前。

なんですが。
今日、私、お母さんの「かわいい」という一言がものすごくものすごく嬉しかったです。

400g台で生まれて、頑張って少しずつ大きくなって来ている我が子(まだ500g台)を見て。
今まで、「小さい」、「触るの怖い」、「大丈夫?生きてる?」などの発言ばかりだったお母さん。

今までも何回も面会には来ていたのですが。
今日、初めて。
面会して、今の状態を説明したり、抱っこの準備をしてもらっていた時。
クベース(保育器)の中の我が子を見て、「かわいい」っていう一言が出ました。

嬉しかった。
本当に嬉しくって、思わず息を飲むかと思ったほど。
「かわいいですよね」って返した私の顔はきっと満面の笑み、そして、やや驚いて目が潤みそうになっていた顔だったに違いないと思います。

分娩前も、分娩後も、沢山の試練があった子です。
ご両親が愛着形成をしてくれるのかどうかが不安だったこともあります。
今後もまだまだ沢山のことがあると思います。

だけど、お母さんの「かわいい」の一言は絶大です。
今までの苦労が飛ぶ気がしました。
今後も精一杯頑張ろうって思えました。


ご両親が我が子をかわいいと思える、という当たり前のこと。
だけど、その当たり前が当たり前じゃない世界もある。
「かわいい」という一言をこんなにも嬉しく感じたことはありません。
NICUはやっぱり大変だけど、苦しいけど、でも明日からも頑張れると思う。

Jun 23, 2012

蘇生

私、基本的にあんまり夜はひきません。
なので、今まで当直中に入院が来た事がありません。

いえ、正確に言うと、一度だけ入院が来たんですが、その時は入院が分かった時点で先輩がたまたま院内にいてくれたので、「一人で」入院を取った事がありません。
双子が生まれるから、と夜中に呼ばれた時は片方を私だけで蘇生をしたけど、隣で上の先生がもう一人を蘇生していたから困れば聞ける状態だったので(実際は聞かずに1人で蘇生したけど)、丸っきりの「一人で」の蘇生もありません。


当直中。23時過ぎ。
「2時間くらいで生まれます。」という電話が産婦人科からかかってきた。

具合が悪そうな事が予測されていた子。
スムーズなら経膣分娩を、ダメそうなら緊急帝王切開にするという予定でした。

部長に確認したら、「S先生かA先生を呼んだらいいよ」、と。
まずは看護師さんに入院が来る事を伝え。先輩に電話したら留守電。
あと1時間半以上あるし、準備しながらもう1回電話しようとしていた矢先、産婦人科から電話。
「もう生まれます!!立ち会いに来てください!!」

入院の準備も(看護師さん側はお願いしたけど、私側のorderやら採血準備やら)が間に合わない。
そして、何より、今からもう一回先輩に電話しても間に合わない。
看護師さんに「S先生に電話してください!!」ってお願いして、産婦人科病棟へ走る。


スムーズに経膣分娩で生まれました。
でも、やっぱり具合が悪い。
初めて一人で蘇生をする。

お願い、脈戻って。
お願い、泣いて。
お願い、baggingに反応して。

蘇生出来なかったらどうしよう、ということが初めて頭をよぎりました。
baggingをして脈は戻ってきたものの、泣かない。pink upしてこない。ぐったりしてる。

必死でした。
飲んだ羊水を吸引で引いては酸素を使いながらbaggingしばらく続けて、を繰り返し。
O2を60%まであげてきた段階で、心疾患の可能性もある、と頭をよぎりました。
挿管も必要になるかもしれない、でも今の私はまだ挿管に踏み切る閾値は高い、有効なbaggingをする方がいいし、とか考えながら。
ようやくpink upしてきて、このまま続ければ大丈夫だ、って思えた頃。
先輩が到着してくれました。

入院にして、処置して、ご家族に説明して。
呼吸はなんとか落ち着いてくれ、エコー所見とX線は微妙。
上がってきた血液検査のデータを見た段階で、これは重症だから転院になるかも、と。

先輩は病態も把握してて、私にも指示を出しながらテキパキと必要なことを進めてて。
改めて優秀さを目の当たりにして。
自分のダメさを実感して。
頑張らないとな、って。

年次が違うにせよ、先輩は1人であの子を任せられると部長に判断されていて、だからこそ、呼ぶように言われた訳で。
そういう風になりたい。上の先生たちの負担を減らせるような働きが出来るようになりたい。
前に進むのみ。泣いてる場合じゃない。


Jun 12, 2012

辛い

仕事が、ではないです。
親御さんの言葉が辛くて、何も言えませんでした。

私たちが予測している予後と、親御さんが思っている予後があまりに、本当にあまりにかけ離れていて。
この数ヶ月で今後のことを少しずつ少しずつお伝えして、今後必要となるであろう処置に関しても少しずつ言葉を出して来ているのですが。
現実逃避なのか、実際に理解していないのかは分かりません。
私の伝え方が甘いのかもしれません。

でも、親御さんの口から出てくる言葉たちは、私の心に刺さりました。
私たちは厳しい(しかも、かなり厳しい)予後を予測しています。
今後必要となる処置や手術も多いだろうことを分かっていて、少しずつ言葉は出しています。
だけど、親御さんが望んでいるのは、障害が何も無く元気に育ち、幸せな結婚をしてくれること。

それがいかに現実離れしていることなのか、Nでの経験が浅い私ですら分かります。
最悪を想定をしてその時のことを予習はしておくけど、基本的には物事を良い方に良い方に考える私ですら、親御さんの望みがどれだけ厳しいかは分かります。

だから、安易に肯定はできない。でも、あまりに悲観的なことばかりお伝えして、赤ちゃんに対する愛着形成が出来なくてもいけない。
その狭間で、一つ一つの言葉が心に重く伸しかかります。



赤ちゃんに元気に、愛情いっぱいのおうちに退院してほしい、というのが私の願いです。
もちろん、少しでも予後がいいことを望みます。
そして、同時に、家族にちゃんと愛情いっぱいで受け入れてもらえることを望みます。

予後が悪いであろうという事実だけでも、まだ今の私にはかなり辛いです。
赤ちゃんの事、そして親御さんの事を思うと、本当に辛いです。

そして、親御さんの望んでいる未来と現実がかけ離れているとき。
そのギャップも辛いです。そのギャップを乗り越えてちゃんと愛情いっぱいの家族のもとに退院できるのかな、どうしていったらいいんだろう、ということを考えるから。

だから。
親御さんの言葉は心に刺さります。
時間をかけていくしかない。

Jun 10, 2012

夜中のcall

昨日、初めて夜中に呼ばれました。
私が次の当直から一番遠かったから。

あいにく、昨日は、朝から仕事→仕事が終わった後に上の先生たちの前での入局挨拶で大学へ→先輩、後輩とおしゃべり→せっかく集まったからと同期で飲み会、という日でした。
そして、私は疲れてたし電車に乗ったし(乗り物酔いがあるので。薬は飲んでたし、だからウーロン茶ばっかり飲んでたけど。)、昨日中に帰ることは断念して実家に泊まる予定でいたんです。

そしたら、0時半に病院から電話が。
「双子が生まれることになったんだけど、今から来れる?」

一瞬悩みました。
終電は既になかったから。
でも、勉強になるし、私が断った時に誰が呼ばれるかを一瞬考え。
(金曜と日曜の当直の人は呼べない。4年目の先輩は先日呼ばれたばっかり。部長の先生を呼ぶほどの子ではない。呼ぶとすれば、昨日今日がお休みの7年目の先輩だけど月曜当直だし。どう考えても私が一番当直から遠いし、一番若い。)
「行きます」と。

実家にいた事が幸いでした。
親の車を借りて、一路病院へ。
帝王切開にちゃんと間に合いました。

そのまま朝5時過ぎまで仕事。
さすがに、疲れてた+乗り物酔いで軽度ふらつきあり、で車を運転する気力はなく歩いて自宅に戻り、寝て、今から車を取りに行きます。
私にしては頑張ったと思うのです。

でも、そのおかげで、当直の時に、一人である程度の子までは見られる自信は少しつきました。
自分の当直の時は全くひかないので、一人でこれくらいまでなら見て良いよ、って言われてる子たちを、果たして一人で見られるのかが今まで全く想像つかなかったんです。
一人で当直中に入院があったら、っていうのが少し実感できたかな。
私が少しでも自立して、少しでも頑張れれば上の先生の負担も減るから。
大丈夫。来月からも生きていく。


<追記>
実は私の出生時刻も真夜中なんですよね。
午前0時50分に緊急帝王切開で出生。
夜中に生まれるということは、こういうことなんですね。改めて実感。
まぁ、私の場合は在胎42週0日、出生体重2970gありましたが、母の話を総合するにおそらくは早期破水+感染があったと考えられ、どうもクベース(保育器)に入れられていたみたい(笑)
産婦人科だけじゃなく、小児科の先生にも夜中にお世話になっている気がします。
20数年も前の話だけど、今更ながら、ありがとうございました。

Jun 9, 2012

退院

私が今の職場に行って、一番最初にとった長期入院さんが、本日ついに退院しました。気づけば二番目にとった長期入院さんの方が退院が早かったんですよね。

一番最初ということもあるし、ものすごく手をかけてきた子だし、栄養計画とかもすっごく考えてマネジメントしたし、沢山泣くから抱っこしながらカルテ書いてたこともあるし、何よりすごくかわいいし、私にとっては思い入れの強い患者さんです。

体重が増え始めた時も嬉しかった。退院で大丈夫って思えた時も嬉しかった。
ご家族に今週末退院でいいと思いますよ、というお話をした時のお母さんの嬉しそうな顔も嬉しかった。
今日の退院は本当に本当に嬉しかった。

退院前のお話も、私がメインでさせてもらいました。
入院中にした治療の事。退院後の注意事項。退院後の栄養計画と内服の話。予防注射の話。
さすがに一人でお話して何か抜けても嫌だったし、当直明けだったオーベンの先生に残っててもらって一緒に立ち会ってもらいましたけど。そして、途中分からない事は先生の顔を見て助けてサインを出しまくってたり確認したりもしましたけど(>_<)


オーベンの先生に言われました。
「お話完璧だったよ。」「退院までのマネジメント、全部先生が一人でやったんだから。ちゃんと出来てるよ。」
全然なんです。本当に、全然。多分ね、私に自信を付けさせるため、7月以降にちゃんと生きていけるように布石を打っているんです。

4月からそうだから。
補助輪をとって普通の自転車に乗る練習をしていて、後ろを持っててもらって、「離さないでね、離さないでね」って言ってて、気づいたら手を離されていてふらふらしながらも乗ってる、みたいな気分です。
でも、手を離して遠くにいる訳じゃなくて、ちゃんと自転車の後ろにはいてくれてる。
好きにさせてくれてるんだけど、実はカルテもちゃんとチェックされてる(笑)
まぁ、私も、「こう思うからこうしようと思ってるんですけど、それでいいと思いますか?」って聞いたりとか、カルテもチェックを入れてもらえるように、カルテには考えている事を全部書いてますけど。)

来月からが不安だけど。でも、他の先生たちもいるし、きっと大丈夫。
一人でも多くの患者さんが笑顔で退院できるように、頑張ります☆
みんなNICUで長い期間頑張った子たちだから退院の瞬間って、本当に嬉しいです。
あの笑顔があるから、また頑張れる。
(まぁ、退院した後もいろいろ大変で、小児科にお世話になる子たちもけっこういますが)

Jun 7, 2012

超未の日

というものが世の中にある訳ではありません。
でも、うちの病院のNICUではなぜか毎年6月6日には大物の超未(超低出生体重児=出生体重<1000g)が生まれることが多いらしいです。

が。
今年は6月6日は私が当直。。。。
あれ?

という訳で、少し前から部長の先生が6月6日は超未の日だからねーと妙に嬉しそうに(?)6月6日生まれの子のリストを見せてくれたりしていました。

昨日、上の先生たちが帰るときは、「大丈夫です。私の強運さが勝ちます」とか豪語したものの。
実は内心少し心配はしていて 、どうなることかとヒヤヒヤしていましたが。
入院中の子が具合悪かったり、低血糖起こしたり、ということはありましたが、超未ちゃんは生まれませんでした。
私の勝利(笑)

Jun 6, 2012

ルート

赤ちゃんの点滴。
手はもちろん、足にも入れますし、臍の緒を切った後のところから臍カテを入れることもあります(臍カテはけっこう太めのものが入るので、週数の浅い子たちならけっこう使う)。
もうちょっと大きい、いわゆる乳児、と呼ばれる子たちであれば短期間なら骨に刺す骨髄針を使うこともありますが、NICUというより救急の現場の話。

もちろん、元々血管が細い赤ちゃんたちですから点滴は大変です。
週数の浅い子たちは肌がゼリーみたいになっていて、私にとってはまだまだ難しいです。
でも、それよりなにより私が最近大変で困っているのは、長期入院で沢山点滴をさされている子たち。
血管がつぶれてしまっていて、まっすぐな血管がすでに残っていないことが多いんです。

今私が担当している子でも、既に点滴ラインを入れられる場所がなくなってきている子がいます。
そうなることが予測されていたため、今まで極力点滴は手に入れるようにしてきて、足の血管は温存してきました。
緊急時に点滴が入らないと困ると思って。

でも、もう足の血管を温存出来なくなって来ているくらい手の血管がありません。
ついに足にもさし始めました。この先どんどん血管が無くなってくることが目に見えています。
でも、退院の見込みはまだなくて、先は長そうな子なんです。
私の不安材料がまた一つ増えてしまいました。

Jun 5, 2012

早寝早起きは三文の得

本当だな、って実感中です。
夜早く寝ると肌の調子が良いし。
朝早く起きると朝のバタバタが無くて済むし。

朝早く起きて、少し早めに出勤して。
・患者さんの夜の状態を把握。
・その日のオーダーや予定を確認(前の日に帰る前に確認してリストアップしてるけど、患者さんの状態に合わせて再確認)
・採血を早めに始める(=つまりは早めに終わり、次の仕事に取りかかれる)

このことでその後の一日の過ごし方に少しゆとりが出来て仕事が楽になるんだ、って先週にもなって実感。
当たり前のことなんだけど。

疲れてる訳ではないと思うのだけど、気を抜くと朝起きれなくて、早寝遅起きになっちゃう(笑)
でも、極力早めに起きて早めに出勤して出来るだけ余裕を持って仕事をしたい。
上の先生にかけてしまう負担を減らしたいし、余裕があれば他の仕事だって少しは出来るかもしれない。
いっぱいいっぱいさを脱するべく。自立に向けて。早寝早起き、実践したいと思います。
有言実行☆

Jun 2, 2012

写真

私の趣味:絵を描くこと、写真を撮ること

仕事に生かされることも少しずつ出て来ている今日この頃。
今週、予想以上に患者さんのママに喜んでもらえて嬉しかったことがありました。

とある赤ちゃん(もうすぐ4ヶ月、修正3ヶ月) が笑った瞬間の写真を撮ったんです。
月齢的にも、そろそろ笑ってもおかしくはないくらい。
泣く理由も、お腹がすいたからではなく、かまって欲しいから、に変わってきつつある月齢です。
夕方。泣いていたその子に話しかけたら、泣き止んで笑ってくれて、その瞬間を撮影しました。

ママへ、って書いて写真をベッドサイドに置いておいたらすごくすごく喜んでくれました。
実はママは面会中に笑った顔をまだあんまり見たことが無かったそうで。
喜んでくれたママを見て、私も嬉しかった。
たった一枚の写真だけど、それで喜んでもらえるって嬉しい。


そして、実はこの一枚、他の先輩先生たちにも看護師さんたちにもとっても好評でした。
普段滅多に褒めない先生が、「これはいい。ベストショット!」って言ったくらいですから(笑)

私にしか出来ない仕事、なんて無い。
でも、私だからこそ出来ること、はあると思う。

病気の説明を分かりやすく図解したり、赤ちゃんの様子を写真でお伝えしたり。
そんな部分を活かしつつ、「医学」の部分の研修をきちんと積んで、患者さんに安心してかかってもらえる小児科医/新生児科医になりたい。

Jun 1, 2012

決意

私は、今の職場にくる時に、とある決意をしました。
それは、言い訳せず逃げずどんなこともちゃんとやる。
当たり前のことなんですけどね(笑)
でも、言い訳を並べて頑張らなかったことの多い私には大きなことです。

そして、言い訳の中でも大きめのもの。
私、乗り物酔いが酷いです。電車でもダメです。

これを言い訳に、Drカーも、転院搬送も、研修医の時は極力乗らなかったです。
地震の後の余震酔いで半日休んだこともあります。

でも、NICUに来る時に決めました。
迎え搬送だろうが、転院搬送だろうが、乗る。
乗り物酔いを言い訳に仕事を制限したくないし、それで周りに迷惑はかけたくない。

その為に、ここに来る半年前から、いつもなら自転車の距離も電車に乗るなど、気持ち悪くなりながらも少しでも慣れる為に、乗り物に乗る練習(?)もしました。
もちろん、そんな簡単には治らないので、未だにここから都内の大学に勉強会に行く時に電車で気持ち悪くなることもしばしばですが。。
でも、めげずに、薬を飲みながらも頑張ってます。

そして。
実は、今日、ここに来てから2回目の転院搬送に行きました。
朝から多めに薬を飲んで、帰り電車で帰れるように私服を持って。
帰るのが少し遅くなっても大丈夫なように、朝もいつもより一時間半早く行って、他の担当患者さんのことをちゃんと終わらせて、他の先生に申し送って。

やっぱり目が回ってしまいましたが、無事に送り届け、電車で帰院し、残りの仕事を大まかに終わらせ、1時間ほど横になり。酔い止めや眩暈止め、頭痛薬などを飲みたして、今夜は当直です。

帰りが電車だったこと以外は、転院搬送も病棟業務も、当直も。
仕事をちゃんとできたことで、少し自信がつきましたし、決意が実践できて嬉しかったです。

乗り物も、苦手な分野(脳波とか)も、ちゃんと真正面から頑張る一年にしていきたい。

May 29, 2012

プロフェッショナル

って何だろう、って最近すごく思う。
上手く言葉で表現できないけど、プロだなって思う先輩もいれば、プロじゃないって思う先輩もいる。

・どんな時でも常に自分の仕事に対して責任を持って最後まで行う
・しっかり勉強をしていて、知識と経験に裏打ちされた自信がある
・気働きが出来て、周りに対して良い影響を及ぼしていて、上昇気流を作ることが出来る

これらは、私の目指してることがらでもある。
でも、これらはプロフェッショナルの必要条件であり、十分条件ではない。

プロフェッショナルになりたい。

May 27, 2012

週末当直

先週末は土曜日当直でした。
今私が働いているところでは、当直制度になっています。
土曜日は当直の人、金曜日が当直の当直あけの人に加え、残りの半数が出勤。
日曜祝日は、当直の人と当直あけの人の2人体制です。

土曜日の当直に当たると、土曜日の朝から日曜日の午後仕事が終わるまでだから、週末どころではなくなりますが、その分、そのおかげで週末のどちらかがお休みの週がほとんどです。

さて。
4月から当直が始まった私ですが、5月から週末当直も始まり、先週末がついに初めての土曜日当直でした。
先輩たちは、土曜日当直は週末のお休みが無いことになるから辛い、という話をしていましたが。私はむしろ、寂しくて心細くて、そっちが辛かったです(;_;)
でも、お休みするため、って思えるから頑張れます(笑)

当直中、医者は私一人しかいませんから、NICUの中から出るのはけっこう怖いです。
医師控え室も当直室も、着替える場所も、全部全部同じ空間にありますし、基本的には出ません。

そんな当直中。
患者さんたちがいる病棟を離れ、すぐ隣にある医師控え室に戻ったら。
誰もいないはずだったのに、先輩先生がPCを前に仕事をしていました。

先生を見た瞬間、何故か涙が止まらなくなった。
理由は自分でもはっきりは分からない。
先輩は、緊張して当直をしてて、その糸が切れたからだって認識していたみたいだけど。
多分、違う。というよりも、多分、ホッとしただけではない。

先輩の顔を見た瞬間に泣き出した私をみて、 「何かあった?」ってかなり驚いた顔をされました(そりゃそうか。笑)
涙が止まらないながらも、患者さんの状態は説明をして、アドバイスをもらい。
やっぱり自分にまだまだ自信はないから、些細なことでも先輩に「それでいいんじゃない?」と言ってもらえると安心する。

その後、そのまま涙が止まらない私の話を結局小一時間くらい(?)聞いてくれました。
辛いこと、シンドイこと、周りに振り回されてしまっている感じが強いこと、つぶれそうなこと、頑張りたいと思っていること、成長したいと思っていること、でも不安でいっぱいなこと。

先輩も私もそれぞれ机に向かいながらなので背中合わせで話をしていたのですが。
知っていました。先輩が作っていた表がその1時間で全く変わっていなかったことを。
知っていました。先輩が背中越しにも私の様子を非常に気にしてくれていたことを。

泣くだけ泣いて、話すだけ話して、いろんな言葉ももらい。
上の先生たちが私を気にしてくれているのは分かっていましたが、こんなにも考えていてくれていたということに驚いて、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

今の私、余裕がないんです。いっぱいいっぱい。だから、上の先生たちのオーラや気持ちにそのまま引きずられて負けてしまって、苦しくなったり悲しくなったり辛くなったりしてしまう。今の職場の環境がちょっと特殊な状態というのもあるけど、NICU希望の私だけど、あの中で自分の芯をしっかり持って、前向きに、責任を持って、考えながら、成長して研修をしていくというのは難しい気がするのです。
でも、そんな今の職場だけど、こうなりたい!っていう先生は当然ながらいる訳で。その先生に指導してもらいたいとも思うし。そして、その先生がとっても頑張っているのも分かってるから、頑張ろうとも思えるし。
楽天的すぎる部分もあるのだとは思う。そんな私を見て、上の先生たちがあーあ、って思うのも分からなくはない。辛気くさい顔はしたくないけど、ちゃんと最悪のことまで想定して動けるようになりたい。
でも、言いたいことを上手くは伝えられなかったけど、それでも少し気持ちの整理はついたかな。また頑張れるかな。

そして結局、小一時間話してた時に、産婦人科当直の先生から電話があり、緊急帝王切開が告げられ、涙はいっぺんに止まり、でも腫れて赤い目のまま、先輩を巻き込んで入院の準備をしてオペ室に行きましたけどね;;

May 21, 2012

「若い」赤ちゃん

よく考えると、不思議な言い方ですよね。
私、初めて「若い」超未ちゃん(体重1000g未満の超低出生体重児)を担当しています。

超未ちゃんたちには、2タイプいます。
28週や30週など週数は進んでいるのだけど、週数の割に体重が軽い(FGR:胎児発育遅延)タイプ。
そして、週数相当に成長はしているのだけど、24週などそもそも週数が浅いタイプ。
もちろん、週数が浅い場合の方がいろんな合併症のリスクは高いし、全身管理は大変です。

私が今まで担当してきた超未ちゃんたちは週数の割に体重が軽い子たちばっかりでした。
そして、この度初めて23週400g台という「若い」超未ちゃんを担当することになりました。

挿管以外のほぼいろんなことをやらせていただきました。
今まで担当した一番若い28週の子の時には皮膚のぷよぷよさで上手く出来なかった末梢ラインも、23週という今回は一発で入った。
初めての臍カテ(臍の緒を切ったところからカテーテルを挿入する)もスムーズに入れられた。
肺にサーファクタント(肺を膨らませてあげる為の薬)投与したし、尿カテも入れた。
エコーも12分で一通り終わった(本当は目標10分以内だったんだけど、初めて見た23週の脳があまりに見慣れない状態だったので、上の先生にも見てもらったりしたら時間がかかってしまった><)

点滴を決めたり、今後必要になる点滴の(というより、明日にかけて起こってくる高Kに対するGI療法の)細かい計算もちゃんと出来た。
初めての「若い」超未ちゃんだけど、事前に予習はしてたから、やってることも注意しなくちゃいけないことも何となくは分かってたから、すごくすんなりと頭に入って来た。
やっぱり予習復習って大事。


「若い」超未ちゃんだと、特に出生後72時間の経過が重要です。
頑張って沢山学びたいのはもちろん、今の私の目標。
IVH(脳室内出血)などの合併症を起こさせない。極力元気な状態でご両親に受け入れてもらえて沢山の愛情を注いでもらえるような退院に結びつけたい。
頑張ります。

May 20, 2012

輸血製剤

輸血。赤血球だったり血小板だったり、血漿だったり。
血液製剤。アルブミンだったり、手術時に使う凝固のだったり。

輸血にだって副作用や合併症がありますから、気軽に、という訳ではないですが、必要と思えばためらい無くオーダーします。
そして、オーダーすれば私たち医師は特に苦労しなくても製剤が届きます。

当たり前のことながら、輸血の血液は人工的には作れません。
製剤の後ろには、献血をしてくれている人がいます。

人の為になるから、なんていう立派な理由からではないけど、献血は極力しています。
16歳からは貧血チェックも兼ねて定期的に行っていました。
20歳から25歳までは自分の貧血がひどくなってしまい、献血できず。
25歳を過ぎてからは、自分で血液製剤のオーダーをするようになり、けっこうな量の輸血製剤を使用していることもあり、再度献血を始め今日で15回目。


本日は成分献血でPC10単位(血小板)とAlb製剤となる余剰血漿を献血してきました。

私、医療関係者ながら、自分に針が刺されるところが見れない人なんです(笑)
だから、採血も注射も献血も、直視できません。
献血中は腕にタオルを掛けて見えないようにしてもらいます。

針が抜かれた後に(安心して)振り返ったら、黄色い袋が2つ(PCと余剰血漿)が出来てました。
最近の私の血液データがイマイチで取れなかったため、血小板献血は久しぶり。
つまりは袋が2つということが久々でビックリしました。
思わず、「これって10単位の血小板ですか?」って聞いちゃったら、「あら、関係者ですか?」って聞き返された(笑)

そして、看護師のお姉さんが教えてくれました。
「お医者さんなんですね。じゃあ楽しみですね。(お姉さんに職場の場所とかは言ってないから、多分、オーダーして自分の血液が届いたら、ということだと思う。)
血液製剤の色が血液型によって違うのはご存知ですよね?血液型表記の後の2桁の番号が東京、その後の2桁が献血センターの番号なんですよ。今度輸血製剤を見る時に気にしてみてくださいね。」



ちなみに。
輸血製剤は基本的に、献血された都道府県でしか使えません。
東京はみんなが献血に来てくれるから輸血製剤は他府県と比べればまだ比較的大丈夫。
でも、周囲の県は病院や医療者が足りないのもさることながら、輸血製剤も足りないんです。
例えば、埼玉や千葉に住んでいても、東京で献血するでしょ?(特に、高齢者ではなくて比較的若い人が献血する訳だから)
でも、埼玉や千葉の病院でも血液は使われるんです。足りないんです。

どうしても足りない場合どうするのか。
血液が県内にないから輸血出来ません、では患者さんの命に関わります。
県内の献血センターなどで一生懸命集めるのもそうなんだけど、どうしても足りなければ都から売ってもらうことになります。


私が日々見ている血液、都内の病院だったときは当然ながら、都から外れた今でもけっこう最初の番号が01なこともある気がするのです。
今度から気にしてみます。

そして、「売って」もらうという事実を知った今、いつもの都内の献血センターではなく、病院の近くでも献血をしてみようかな、とも思っています。
特に、血小板は有効期限が4日しかないから製剤厳しいだろうし。

皆様、体が許すのであれば、是非献血にご協力ください。
そして、都以外に住んでいるのであれば、その府県でもぜひご協力ください。

May 18, 2012

先輩先生からの指導②

研修医ではなく医師になったことで変わったことの一つが、責任が大きくなったということ。
頭では分かっていますし、確かにそういう実感もあります。
ただ、まだまだどうしても研修医体質が抜けていないんです。

研修医の時よりも。
自分で判断することも増えた。
検査・治療方針を決めることも増えた。
ご家族への説明などを自分だけですることも増えた。
自分一人で行う手技も増えた。
他科の先生と一人で直にお話をしていくことも増えた。
患者さんの将来について真剣に考えるようにもなってる。

なんですが。
今日、上の先生に言われたことで自分の仕事に対する責任感が足りていないことを気付かされました。

自分で責任を持って判断をすることが出来ていなかった。
つい、上の先生に聞いてしまうし、答えをもらうと(自分の頭で納得はするものの、半ば鵜呑みに)その通り実行してしまう。
特に問題として上がってはいなくても、患者さんにとってより良いことがないのかを考えて(場合によっては調べて)いくことが足りていない。

今日もつい上の先生に聞いたんです。
そしたら、返って来た答えが「もう研修医じゃないんだから、自分で考えて自分の責任でやっていかないと。(…以下略。)」と。

先生に言われたことが、あまりに図星で涙が出そうなくらい悲しかったです。
というのも、先日ちょいと悩んだことそのままだったから。
どうやって一人前になっていくか、どうやって考える力を身につけて行くか、つまりはどうやって勉強・成長していくか、ということ。

でも、あまりに図星で悲しくなったけど、自分の日々の姿勢のダメさを指摘してもらえて、良かったって思います。
うん、そうやって成長していくんだ。

May 17, 2012

先輩先生からの指導①

私、お話が苦手です。
いえ、無口ではないんです。全く。
ただ、人に何かを説明すること、しかも、説明して納得してもらって、必要な注意事項は納得してもらいながらも、不要な心配をせず安心してもらう、っていうのが苦手なんです。

多分、研修医だった2年間、あんまり自分で説明をしてこなかったというのも一因ですが、いかんせん、元々プライベートでも伝えたいことを上手に伝えることが苦手なんですよね。

でね、今の私の課題の1つがご家族にお話をすることなんです。
研修医ではなく医師になったことですし、いろんな話を自分自身でしていく機会がぐーーーっと増えました。(これでも、今いるのがNICUだから、私の外来枠がまだ無いから他の同期と比べると遥かに少ないのだけど。汗)

今日、上の先生が私の説明を聞いていてくれて、私の説明にダメ出しをくれました。
今日教えてもらったポイントは、ゴールを伝えてあげること。
私が言っていることは正しいのだけど、そのままだと先が見えてこないから、いつまで頑張ればいいのか、というゴールを示してあげることが大切だよ、と。

なるほど。
確かに、私自身も日々のことで先が見えないと非常にもやっとします。
いつまでどう頑張ればいいのか、次の目安は何なのか、各々の患者さんが目指す先はどこなのか、ということが分かっていると、すっきりと頑張れます。


<今年の私の目標 その1>
患者さん(のご家族)への説明を上手になる!


分かりやすく、過不足のない心配をしてもらい、納得して安心してもらう説明を出来るようになりたい。
その為には、説明する内容を自分がしっかり理解していることはもちろんながら、ご家族が何を必要としているのかという先々のことも考えられるようになりたい。


ちなみに。
説明が苦手な私がその代わりに得意なことが、絵などを入れた説明用の用紙を作ること。
これに関しては、まあまあだと思う。(自画自賛?笑)
なので、併せて言葉も上手になりたいのです。
こればっかりは、場数を踏んで試行錯誤していくしかない。

May 11, 2012

完全な人

とある親御さんの発言に私、衝撃を受けました。
いろんな事情が絡まっている中で、このたった一言を取り上げてしまうと、文脈も何も無いから、印象がまた違うとは思うんですけど。

「不完全な子」

外国の方だったので、不完全=病気がある子、という意味合いだったのだとは思います。
それでも、「不完全な子」という言葉がショックでした。

毎日診ている子たち。担当している子たち。
いろんな問題を抱えながらも頑張ってたり、小さく生まれて大きく成長してきてたり、成長とともに少しずついろんなことが出来るようになってきてたり。
そういう子たちを不完全って言われてしまった気がしたからかもしれません。
悲しかった。

この話を回診でしたとき、上の先生が言った一言に救われた気がしました。
「『じゃあ、あなたは完全なんですか?』って言い返したい。」

赤ちゃんのことばっかり頭にあったけど、そうですよね。
「完全な人」なんていないもん。
ダメなところも、出来ないことも、沢山あるもん。


元気な赤ちゃんに生まれて来てほしい。
それはご家族、医療者、誰であっても誰しもが思うことだと思います。
そもそも、(赤ちゃんに限らず子供も大人も)我々の医療者に会う必要がなく生活出来てる方が幸せだとも思います。

早産になりそう、とか、赤ちゃんに病気がある、って分かった時の気持ちは推し量れないくらいのものだろうとは思うんです。
今の現状を受け入れがたいとも思うし、 気持ちも体も辛いとも思うんです。
いろんな人がいろんな考え方をしてるのも分かるんです。
それでも、衝撃でした。
少しでも元気に生まれてきますように。
ご両親に沢山の愛情を注いでもらえますように。

May 10, 2012

眼科

早産、低出生体重児で生まれた子たちは、いろんな部分が未熟で生まれてきます。

その一つが、眼。
眼の奥には、カメラで言うところのフィルムに当たる部分、見えている画像を写す網膜という膜があります。
網膜を栄養する血管の発達が未熟なままで生まれてくるのです。

しかし、体の外に出てしまうと血管が上手く育たないことがあります。
そもそもお腹の中と比べると生まれた後は酸素濃度が高い為に血管が攣縮しやすいこと、蘇生などで酸素が必要となることが多いことも原因と言われています。

しかし、血管がうまく育たないと、それを補おうと、細い弱い血管が出来てきます。
この血管、もろい為に出血を起こしてしまうこともある上に、血管の周囲の増殖組織が増えてくると、網膜剥離(網膜がはがれてしまい、見えなくなる)を起こすこともあります。


そのため、血管がしっかりと正しく伸びてくるかというのを眼科の先生たちにチェックしてもらう必要があります。
でもでも、大人にとっても眼を開けたままにして眼を見てもらうというのはなかなかのストレス。
赤ちゃんたちにとっては、とーってもストレス。
呼吸をお休みしてしまったり、反射で脈がゆっくりになってしまったり。
検査中もそうですが、検査後の夜も影響が残っており、具合が悪くなる赤ちゃんがいます。

でね。
私、諸事情により、眼科診察がある曜日に当直があることが多いんです><
もう、赤ちゃんたちを応援するしかないですよね。。昨晩は関係あるのか無いのか、夜中に具合が微妙に悪くなる子たちがチラホラ。
うぐぐ。

May 7, 2012

OFF&ON

ONを頑張る為にはOFFの過ごし方が大事だということを実感しました。
こんなに実感したこと無いかもしれません。

私は今、社会人3年目です。
今の職場では一番の下で、昨日までは一番の新入りでした。

そんな中。
なんと、私のゴールデンウィークはあり得ないことに、暦通りでした。
連休をもらえたんです。一番驚いたのは私自身。
嬉しさよりも何よりも、本当に驚きました。

当直の名前が記載されているカレンダーに私の名前が無いことは気付いてました。
ただ、いつも、土曜日は半分出勤半分お休み、みたいな感じで後で名前が書かれるので、連休中のどこかに私の名前が書かれるんだろう、ってなんとなく思ってたんです。

2日になっても私の名前はなく、どうしたものか、と上の先生たちに聞いたところ、休め、と。
休める時に休んだ方がいいよ。せっかくなんだから楽しんでおいで。出かけるもよし、引きこもるもよし。日頃頑張ってるの分かってて、だからI先生(当直表を作ってくれている上の先生)も外したんだと思うよ。病院来たらダメだからね。連休明けからまた頑張ればいいんだから。
いろんな言葉を先輩たちに言われました。

お言葉に甘え、完全に連休を頂きました。
連休中、会いたかった人に会いにいき、出かけたかったところに出かけ、美味しい物を食べ、友人の結婚を祝い。
まるで普通のOLさんのような、本当に自由な4日を過ごして。

4日目の昨日気付きました。
全然気持ちが違うんです。
今までにないくらい前向きで、やる気にあふれていた。
こんな爽やかな、でも気負わない気持ちで仕事を出来るってすごいな。
これからも、週末とかのOFFは充実させよう、って思いました。
そして、仕事の時は仕事を頑張る。
OFFとONって大事!!

Apr 30, 2012

PALS


 
PALS = pediatric advanced life support子供の救急疾患(心停止とか、状態の悪い不整脈、ショック、呼吸障害など)の対処方法みたいな。

受けてきました。
お休みをもらってまで受けに行きました、はい。
というのもBLS(basic life support。倒れた人にする胸骨圧迫とかAEDの使い方の講習。一般の人も受けられるのでぜひ!)の期限が切れると受けれなくなるけど、もうBLSを受ける体力は残ってないと思ったから(笑)

うーん。
心停止とか、状態が悪い子とかを診た時に焦らないようにはなるのかな、とは思います。
焦って頭真っ白な時でも、みんなが知ってて、やることが決まってれば動けるから。
薬の量とか挿管チューブの太さとかも、表にまとまってて使いやすいとは思うし。
ACLSの心停止とか、BLSとか、NCPRとかと同じ。
最悪の所まで行った時のことは、やれることも決まってるし、勉強しておけば動ける。
それはまぁ、いいんじゃないかな。


でも、それ以外の部分の、実際に頻度が高そうなことに関しては、明日の診療にいきなり役立つ訳じゃないと思いました。
多分、病気のことを知っていないと結局使えないんだと思うんだよね。
だから、結局のところ、自分である程度診療出来るようになっていないと生きてこない気がするんです。
つまりは、今の私にはPALSのシナリオをやる分には問題ないんだけど、実際の臨床現場では使えない。

前に、上の先生が「 PALSを知ってる研修医が、けいれんの子にいきなり挿管しようとした時に、問題を感じた」「心疾患があって貧血って分かっているのに生食ばっかり入れる人が増えた」って言ってたけど。
上手く言えないけど、先生が言いたかったことは分かる気がしました。
学生の時はPALS学んでも面白いな、難しいな、だけでこんなこと思わなかったけど。
本当の臨床では、ぱっと見て得られる情報も多くてそこでの判断が入るし、いろんなことが同時進行していくし、患者さんの状態も刻々と変わるし、アルゴリズムに乗れないことも沢山あるから。
だから、シナリオをやった時になんか違和感があった。

考え方はいいと思うんですけどね。重大なことを見逃さないようにはなると思うし。
(まぁ、他のJATECとかものでも同じだけどね)
ABCDEで評価していくという視点は大事だと思うから。
同時に、症状や病態から考えて行く視点も大事だと思うし、時系列で動く視点も必要だと思う。


そいえば。
やっぱり、小児科医にとっては、いろんなこういうのの中では、NCPR(新生児蘇生法)が一番使う気がする。
BLSも体系立ってて使いやすいんだけど、使う頻度から言ったら絶対NCPR。
だって、生まれる赤ちゃんの10人に1人は軽度なものを含めた蘇生が必要になるんだから。
PALSはとてもじゃないけどインストラクター取ろうとは思わないけど、NCPRは取ってもいいかなって思う。
今年は日程的にも無理だし、来年少しは慣れた頃かな。

いやーそれにしても。
久々の講習会。勉強会以上に疲れますな(笑)

Apr 27, 2012

マッハ効果

エアーリーク。
肺の外側に空気が漏れ出てしまう状態です。
出た空気に押されてしまい、肺が広がれなくなります。
大人では、外傷性だったり、人工呼吸中だったり、後は体格的に起こしやすい人とかがいますが。
新生児でも起こります。

ここでちょっと問題が。
大人だと立ってX線を撮影できるから、上の方(頭側)に空気が溜まってるのが写ってきます。
しかし、新生児では寝たまま取るので、胸側(背中と反対側)に空気が溜まります。
肺とか心臓とかと重なって写ってくるので、大人のイメージでいると判別がつきにくいです。

胸腺の写り方とか、他と比べて黒く写ってる部分があるとか、いろんなポイントがあるんですが。
私が何度かひっかかったのが、心臓の周りの部分の黒さ。

ほら、心臓の左側(向かって右側)の部分、少し黒く見えませんか?

でもね、実はこれ、目の錯覚なんです。
このX線、エアーリークはないんです。

部長の先生にマッハ効果っていうんだよ、って教えてもらいました。
その時は???って思ったけど、家ではっと気付きました。

そういえば、色彩の勉強の時に勉強したわ(笑)

この白黒のバンド。
同じ□の中は同じ色なんだけど、その中でも左側の黒っぽい側は白っぽく、右側の白っぽい側は黒っぽく見えませんか??

これがマッハ効果という錯覚。
この白黒のバンドのことをマッハバンドって言います。
人間の目は、色の違いをより鮮明に認識しようとするんです。


実際に黒いのか、目の錯覚なのか。
分かりやすいのは、心臓を隠してみた時にも黒く見えるかどうかです。
マッハバンドでも、隣の色を隠してしまえば白っぽさや黒っぽさは消えますから。

うむ。
まさか色彩の勉強したことがこんな仕事で出てくるとは思わなかった(笑)
さらに、私が当直中に酸素化が微妙になった子がエアーリークを翌朝起こしたり、ちょうど新生児グループの勉強会でもエアーリークがテーマだったりして、先週からエアーリークが微妙にマイブーム。

Apr 26, 2012

現実逃避

なのかもしれない。
でも、最近、どうしてもグルグルと考えてしまっている。

よく分からなくなってる。
やりたいことがある方が幸せなのか、無い方が幸せなのか。
頑張ることで幸せになれるのか、頑張るせいで幸せでなくなるのか。
私はなんで生きてるのか、何を信じて生きていけばいいのか。


分かってる。
医者になりたいのになれない人だっている。
医者になるのに沢山の税金を使ってもらっている。
医者になるのに、沢山の人に手間ひまかけて育ててもらっている。
他の仕事だから良いという訳ではないのも分かってる。
どんな仕事だって大変なことも嫌なこともあると思う。

だけど、どうしても最近思ってしまう。
医者になって良かったのかな?
私の身の丈に合ってなかったんじゃないかな?
もう少し違う職業、違う人生の方が良かったんじゃないかな?

きっかけはいつも同じ。
違う職業の人と(または、全く違う生活の科の人と)話すこと。
あまりに違う人生であることを、分かってはいるけど、さらに突きつけられる気がするから。

分かってる。
(医者としては)そんなに酷い時間に終わる毎日な訳ではない。
土日のどこかでお休みだってもらえてる。
一番下っ端ということもあり、楽をさせてもらってる。
上の先生方はもっともっともーっと大変なんだから、絶対に言えないし顔に出せない。
だけど、なんだか気持ちがとってもいっぱいいっぱいで生きてる。


複数の人に言われた。
はやたまが医者に合ってないとは思わないよ。
僕も(私も)そう思うことあるよ。
しょうがないよ、医者っていう職業だもん。
しょうがないよ、小児科選んで(さらにNICU志望)なんだから。
最悪転職すればいいや、って思いながら続けてるよ。

みんなに言われたことも頭では理解できる。だけど、どうしても心にストンと来ない。


医者という職業が嫌いではなくて、むしろ好き。
責任の重さを3年目になって初めて実感し始めてるけど。
毎日が楽しくない訳でもないし、すごく投げ出したい訳でもない。
朝仕事に行くのがすこぶる嫌な訳でもない。
医者を続けるならNICUかな、とも思ってるくらい。
(NICUの医師、どこかで辛くなりそうな気はするけど、とりあえずは、もー無理!ってなるまで頑張ってみようと思ってる。やらないと納得しない性格だし。)

どうやって勉強していったらいいのか、成長を焦ってる部分があって苦しい感じがあるのは事実。
上の先生たちが大好きで、すごく憧れてるんだけど、でもその上の先生たちの働き方を見て、私には無理かもって先を不安に思ったりもする。
私の人生ってなんなんだろう、何がしたくて生きてるんだろうって思ったりもする。
ONでいっぱいいっぱいだからということもあり、OFFも行き詰まってしまって、ON OFF両方で辛くなってるんだと思う。

自分の毎日・自分の人生に不満がある訳ではないんだけど。
恵まれてるとも思うんだけど。
ただ、勝手に人と比べて凹んでいて、そんな自分も嫌。
キャパ少ないというか、自分に自信がないというか。

何が言いたいのか分からない日記になっちゃったけど。
とりあえず医者(小児科医)を辞めるつもりはないです。
でも、普通の女の子の人生にも憧れる今日この頃です。

あーやめやめ。
当直明けは余計なことを考えてはいけません。
思考回路おかしくなってますから。
おやすみなさいzzZZ

Apr 24, 2012

ママ

私は結婚もしていませんし、妊娠出産、子育て経験もありません。
NICUは当然ながら、小児科経験だってまだとっても短いです。
ママたちの方が人生経験も豊富だし、我が子のことだもの私なんかよりもよっぽど真剣だと思うんです。
そんなママたちを見てると、いろんなことを考えさせられます。

そんなことの一つ。
私、NICUに入院中の我が子を初めて抱っこする時のお母さんって好きです。

前も書いたけど、涙のお母さんもいる。(2012.3.15の日記)
笑顔なお母さんもいるし、笑い泣きのような複雑な表情のお母さんもいる。
固まった形のまま抱っこするお母さんもいるし、上の子たちが沢山いて慣れているお母さんもいる。(さらに上の子も未熟児だったりすると、ホント慣れていらっしゃる。)
怖いから、と早めに保育器に戻してほしいと言うお母さんもいる

実体験のない私なんかには想像もつかない、いろんな想いが巡るんだと思うんです。
それぞれがいろんな想いを抱いているんだと思います。
だから、何とも言えない素敵な表情をされているんだと思うんです。


お母さんたちにとって、次にいろいろ思うのは初めておっぱいを吸ってもらう時とか、初めて実際に吸えた時(飲んだ量がgになった時)なのかなって思う。
そんな瞬間に立ち会える時、やっぱり女医さんで良かったかな、って思う。
嬉しそうな、幸せそうな、そんな顔を見ると私も嬉しくなって元気をもらう。
お母さんたちと我が子との関係は出生前から始まってるけど、NICU入院中にも少しずつ築かれていくんだろうなぁ。

Apr 21, 2012

当直

私が当直の時のささやかな習慣。
患者さんたちに声をかけて回ること。
まぁ、こう書くと当たり前と言えば当たり前なんですけども。

赤ちゃんたちの中には夜も採血や処置が必要な子たちがいて、夕方の回診・申し送りが終わってみんなが帰った頃に処置を開始します。

処置や採血をしながら。
赤ちゃんたちを手で包みながら。
赤ちゃんたちに言い聞かせます。

「○○ちゃん、今夜は良い子でいないとダメだよ。今夜は頑張ってね。」
「呼吸頑張ってるね。今夜一晩よろしくね。」
「おしっこいっぱい出すんだよ。」
「お腹動きますように。」
「辛いね。今夜一緒に頑張ろうね。」

看護師さん達には、「今夜『は』なの?」って笑われますが、私は真剣です。
だって、私が当直中に具合悪くなったら困るもの。
昼間ならいいっていう訳じゃなくて、具合に悪くならないのが一番なんだけど。
でも、少なくとも私が当直の夜の間は絶対ダメ。

私の切実なお願いが赤ちゃんたちに届いているのか、今夜はまずいって空気を読んでくれているのか、今のところ1カ月、具合が悪くなったりした赤ちゃんはいません。
夜中の間に具合が悪い赤ちゃんが生まれたり搬送されたりもしていません。

Drや看護師さんたちからは当然ながら。
赤ちゃんたちから沢山学ばせてもらっている毎日。
その赤ちゃんたちに助けられて私の当直が無事過ぎていきます。
無事に朝を迎えられた時、心から安心します。

Apr 17, 2012

声なき声

赤ちゃんたちは、具合が悪くても、助けて欲しくても、自分では訴えることが出来ない。
当たり前のことなんだけど、でも、改めて思いました。

1100g台のとある赤ちゃん。
朝から炎症反応が少し上昇していました。
原因として考えられたのは、誤嚥性肺炎。
誤嚥のエピソードもあったし、X線でも浸潤影を認めていたので。
でも、完全母乳だし、本人の全身状態も良好だったし、経過観察としていました。

言われてみれば、午後から少し活気がいつもよりなかったかもしれません。
ただ、この子はお母さんが面会に来る時は幸せそうに寝てしまって大人しいことが多いので、 あまり気にしていませんでした。

夕方お母さんが帰った後くらいに、呼吸を止めるように(無呼吸徐脈発作)なりました。
朝時点で誤嚥性肺炎と診断していたので、疑わしいのは敗血症(体中にばい菌が回ってしまっている状態)です。

ここからは速かった。
点滴ラインを取って、採血・培養(ばい菌の類がいないかどうかの検査)・尿検査などを提出。
1種類抗菌薬を開始し、血液検査で炎症反応の上昇を確認して2種類目の抗菌薬を追加。
呼吸の補助の為のnasal-CPAP(口から呼吸の補助の管を入れる気管挿管をしなくても、鼻から圧力をかけて呼吸を補助できる)開始。

この頃には、赤ちゃんはぐったりしながら、途中お休みしながらも一生懸命に呼吸をしている状態でした。
そんな赤ちゃんを見ていたら申し訳なくなりました。

赤ちゃんからの精一杯のサイン、無呼吸というサインへの対応は遅くはなかったと思う。
翌朝には(遅れて上がってくる炎症反応はけっこう上がってしまったけど)本人はけっこう元気を取り戻していたから。

だけど、あんなに無呼吸徐脈発作を起こす前に気付いてあげたかったな、って。
赤ちゃんたちをよく診ててあげることって大事だなって、当たり前のことながら改めて思いました。
普段から診てないと、違いに気付けないもの。

Apr 13, 2012

昔の自分との出会い

成長、してるんだと思う。
少しずつだけど、ちゃんと前に進んでるんだと思う。
そう思えたら、また頑張れる気がした。
 
正直なところ、今の私は成長している気が全くしない。
そりゃ、2月と比べたら少しはクベース(保育器)に手を入れることが怖くなくなったし、当直も一応するようになったし。
でも、成長してる気が全くしない。

焦りもある。
2ヶ月半経ってるのに、方針を立てるのすらおぼつかない私がいるから。
上の先生に◯◯は?って指摘されて、はっ!となることが多々あるから。
なんてことはない判断・決定を下すことが出来ていないから。
そして、今頼っているレジの先生たち(4-7年目の先生たち)は6月までで次々入れ替わってしまうから。


だけど、今週、大学に搬送に行って。
私、成長してる、頑張ってることは少しずつ身に付いてるんだって思えた。

去年の7月。小児科を周り始めて最初が新生児グループだった。
今週、転院搬送に行って、病室の同じ場所に立って。
みんなが入院時の処置をしているのを見ながら、7月の自分を鮮明に思い出した。

赤ちゃんは当然ながら、小児のことも何にも分からない状態だった。
診察方法も分からなかった。何が正常なのかも分からなかった。
点滴を取る時も、何を準備していいか分からなかった。
血液培養用の採血針を手に、大人のように患者さんに直に刺そうとして止められた。(今思うと恐ろしい。笑)
エコーで何をどう見るかも分からなかったし、脳エコーなんて初めて見た。
そんな私でも、上の先生たちは優しく一からゆっくり丁寧に教えてくれた。
(あの1ヶ月があるから、2月に今のNICUに行った時もなじめたんだと思う)


私、出来ること増えた。
赤ちゃんの診察も出来るようになったし、動かすのも怖くなくなった。
未熟児のエコーも最小限のこと(心・脳・腎)を10分以内に終えられる。
(まだ心疾患を完全に否定できるだけの自信はないけど)
点滴だって入るようになったし、PIカテだって入れられる。
朝の採血だって(失敗して時間かかることもあるけど) ちゃんとやってる。
低血糖を起こしている時の対応だって分かるし、電解質を見ながら輸液の調節だって出来る。
呼吸状態を見ながら、人工呼吸器を調節することも出来る。

挿管とか初期蘇生はまだまだ怪しいことも多々あるけど。
考えなくてはいけない鑑別がまだまだな部分も多いけど。


でも、それでも。
大丈夫、少しずつ進んでる。
そう思えた。

今のままの頑張りでやっていけば、少しずつでも周りより遅くても成長はしていける。
「いーんだよ、大丈夫」って、数ヶ月前の自分と出会い、背中を押してもらえた、そんな転院搬送だった。


<追記>
頑張ってるって周りによく言われる。
でも、実は多分周りが思ってるほどに頑張れてない。
キャパが少ないし、バタバタしてるし、よくしゃべってるから頑張ってるように見えるだけ。

仕事終わったら早めに帰るし、朝も別に早く行ったりしてない。
家で仕事はしないし、家で勉強も(たまにしか)しない。
ご飯作って食べたり、絵を描いたり、出かけたり、写真撮ったり、テレビ見たり。
offは普通の生活を維持したいと思ってるから、部屋には医学書は一冊も入れてない。
だから、病院にいる時は空いた時間に買って来た本で勉強をしてみたりはしてる。

頑張りたい自分と、頑張ってDrop outしてしまうことが怖い自分。
頑張っていないことに対して、「頑張ったら長続きしないし、一生医者やっていくには細く長くだし」って言い訳をしている自分がいる。
それが嫌。

でも、このペースでもちゃんと成長してる、そう思えたから。
だから嬉しかった。昔の自分に、「いーんだよ、それで」って言ってもらえた気がしたから。
私は私のペースで少しずつ頑張って少しずつ成長しよう。(こんなスタンスじゃ甘いっていう声が飛んできそうだけど。)

Apr 11, 2012

母体搬送

母体搬送。
赤ちゃんをお母さんごと搬送するということです。

本日、夕方6時。
病棟の外線がなり、28週の母体搬送が来ることとなりました。
児の心音が落ちた(prolonged deceleration)ということでの搬送。
来るなり緊急帝王切開となりました。

28週の600g台の超未ちゃん(<1000gの超低出生体重児)でした。
生まれる前から、私担当したい!って上の先生たちにお願いしていました。
若い超未ちゃんの担当は初めてなんです。
といっても、本当に本当の超未ちゃんは26週以下とからしいので、まだまだですが。


32週で600g台の赤ちゃんは担当させてもらいましたが、この4週の違いを実感しました。
最初に驚いたのは、赤ちゃんの肌の水分の多さです。
いわば、ゼリーのような、そんなお肌をしています。
点滴をさすときも、血管が見えているのに、ぷよっ、ぶよっとなってしまって針が思うように進んで行かない。
そんな感じでした。

そんな超未ちゃんの状態を落ち着ける頃には日付は軽く超えてしまう訳で。
私は明日が当直ということもあり、0時を超えた時点で帰宅させてもらいましたが。

明日から担当させてもらう赤ちゃん。
しっかり診させていただきたいと思います。

Apr 9, 2012

IC

IC = informed concent = 説明と同意

なんですが、説明と同意と言われてもねぇ、って感じですよね。
要するに、病状や今後のこと(検査や治療の選択肢や方向性)の説明をして、患者さんに理解してもらって、いくつか選択肢がある場合は選んでもらう、ということです。

古い言い方だとムンテラっていいます。
和性ドイツ語で、Mund Therapie(ムント テラピー)=口による治療、なのだそう。

病状説明。
昔は、胃癌だけど本人には胃潰瘍って伝えた、とか。
病名告知をしていなかったりしたりしていたそうですが、現在は、基本的には告知する方向です。
もちろん、知らない権利もありますから、本人が知りたくない、と事前に言っている場合は伝えませんが。
子供の場合、保護者にきちんと説明する事は当然ながら、子供たちにも分かるように子供たちに説明する事も必要になります。(赤ちゃんは無理だけど。笑)


そして、今微妙に気にしていること。
いつ、何を伝えるか。

NICUの患者さんたち、いろんな問題を抱えています。
でも、その全部をいっぺんに説明したって、難しいし多すぎてご家族は理解できません。
曲がりなりにも研修医を終えた私だって、これとあれとそれと、って沢山あって書きながら理解している状態ですから、非医療者だったら更に難しいと思うんです。

だから、基本的には、重要・重大なものから順にお伝えします。
例えば、肺があまり育っていなくて呼吸の状態が悪いことと、動脈管が開いていてさらに呼吸の状態が悪いことは最初にお伝えして、それに対してこういう治療をしていきますね、と説明します。
頭に出血してるとか、そういう今後に大きく関わってくることもタイムラグなくすぐお伝えします。
( (注)動脈管とは。
胎盤を通してママから酸素をもらってママに二酸化炭素を渡すから、ママのお腹の中にいる時には肺を使っていません。
そこで、肺をショートカットする血管があり、それが動脈管です。
生まれてからは要らなくなるので、動脈管は閉鎖しますが、残ってしまっているのが動脈管開存。
生まれてから肺の血圧が下がる影響もあり、お腹の中では肺をショートカットする方向に流れていた血液が、今度は肺へ血液が流れるようになってしまいます。そうすると、肺に沢山の血液が流れ込むことになり、肺が水浸し状態になって呼吸が苦しくなってしまったりします。)

でも、同時に見つかっている微妙な肝機能異常は、軽微だから経過観察にしながら私たちは気にするけど、ご家族に伝えるのは、次の検査で増悪してくる場合、さらに検査や治療が必要になった場合、上記が落ち着いた時にしようかな、とか。
さらに、鼡径ヘルニアも出てきたけど、(新生児の場合は焦らなくても嵌頓する例は少ない。一応外科の先生にはちゃんと診てもらう。必要であれば手術。)命には全くさし障らないのであれば、落ち着いてきてからお伝えしていこうかな、とか。

病状だったりやってることを隠す意図は全くないんです。
でも、伝えることと伝えていないことが混ざってる。
いつ何をお伝えすればいいのか。

NICUの場合、お母さんたちが子供に愛着形成をしていけることも大切です。
うちの子怖い、どうしたらいいか分からない、もういい、ってならないようにお話をしていくのも大事。
やっぱりお話するって難しいと思う今日この頃なのです。

Apr 6, 2012

ABCニュース

思ったんだけど、やっぱり医療系の話題だとよく分かるんだよね(笑)
逆に、政治経済の話題は苦手。チンプンカンプン。
そもそもの日本語レベルがそれだけ違うということなんだよね、きっと。


ABCニュースシャワー。
この日の話題は半分納得、半分苦笑だと思う。

http://www.nhk.or.jp/worldwave/common/movie/movie.html?120405




確かに、過剰な検査を要求されがちだし、しがちだけど。
不必要な検査はやりたくない訳で。
日本だって学生のときはそうやって習う。
問診・診察から鑑別疾患を挙げ、それを元に何を検査するのかを考えて検査を出すように、と。
アメリカなんてもっともっとそういう教育をされてきている(はず)。
なのに、アメリカでこういうことが話題になってる。


日本もそうだと思うの。
不要な検査あるよね?とりあえず闇雲に出す検査あるよね?
私だけじゃないよね?

検査に限らず、vital◯検とかも、自分の出してるorderを見直して減らせることは減らしたいとは思ってるけど、見直すことがあまり出来ないまま毎日が過ぎてる。
たまに見直すと、あー、この日のこの採血は要らなかったかも、って思うこともある。
逆に、入れたかったのに忘れてることも多々あるけど(汗)

過不足無い、的確な検査って難しいねぇ。
もうちょっと慣れて来て理解できて来たら少しは過不足の調節できるようになるかな。

ちなみに検査に関しては患者さんにも理解してほしいと思うことも多々。
CTって別に転んだ子みんなにいる検査じゃないよ?

Apr 5, 2012

初当直

もちろん、当直をするのは初めてではありません。
研修医の間も当直はあります。
ただし。研修医は一人で当直をしてはいけません。
上の先生が当直をしている時に一緒に泊まる状態です。
ERの当直しかり、救急外来の当直しかり、小児科副当直しかり。

そのため、一人で病院にお泊まりするのは初めてなんです。
今の職場は研修医であった2-3月からいるので、突然行った病院での当直でないだけマシといえばマシ。

日中なら、ちょっとしたことも、「○○さんの▲▲って□□にしていいですか?」って近くにいる先生に確認してしまうから。
研修医の間の当直も、よほど自信があること以外はだいたい上の先生に最後の確認を取るから。
くだらないことでも、自分だけの判断をするということがあまりなかったので、その意味で不安はありました。


<NICUの当直で起こりうること>
①入院中の患者さんが具合が悪くなる
②院内の産婦人科で誰か具合悪い赤ちゃんが生まれる
③近くの産婦人科から母体搬送または新生児転院搬送が来る
④近くでお母さんが自宅分娩に至ってしまい、救急隊から連絡が来る
⑤近くの小児科から新生児転院搬送が来る
⑥近くの産婦人科で具合の悪すぎる赤ちゃんが生まれてしまい、迎え搬送に呼ばれる
⑦NICU卒業生の子たちの親御さんからの相談の電話

で。
私にとっての一番の恐怖は⑥と⑦だったんです。
あとは、①の中でも些細なこととか。

もちろん、他も困っちゃうんです。
でも、新生児蘇生法は一応身に付けてるし、具合が悪い子が生まれる/搬送になることが分かればその時点で遠慮なく上の先生を呼べるから。


でも、⑦はとりあえず、相談に乗らないといけないし。
(もちろん、お話を聞いて、分からなければ上の先生に相談してから折り返しますけど。
基本的にまだ一般小児外来をやったことの無い私には、そういった電話相談が一番キツいのです。
当直が始まる直前に、レジデントの先生たちに電話相談の対応とか、一般小児についての心がけとかを、一夜漬けのごとく詰め込んでもらいました。笑)

 ⑥は即誰かを呼んだとしても、もしかして私がお留守番側ではなくて乗る側になるかもしれないし。
これはさりげなく一番困るかもしれない。

些細なことの場合、上の先生に夜中に電話するのも気が引けるし。
(病棟で一番責任をもってて、一番仕事負担の大きい先生には電話したくなくて、昨日はその少し下の5-7年目の先生たちに「くだらないことでも電話していい」という許可をもらい、電話する順番まで書き出してました。笑)


結局、昨日の夜は上の先生が23時くらいまでは仕事をしながら残っててくれて。
その後はさほど問題なことはなく、人工呼吸器を少し調節する程度で後は安定していたので、 初当直は非常に平和に無事に終了しました。
いやはや無事に済んで良かった。頑張らないとなぁ。

Apr 2, 2012

半人前初日

初期研修医を修了しまして、本日より小児科の後期研修を開始しました。

小児科専門医を取得するまでのあと3年間を後期研修と呼びます。
名前は後期研修ですが、まぁ、一応「研修医」ではなく、「小児科医」と名乗るようになります。
学生の頃とか1年目の頃、3年目からの先生のことは一人前の先生たちだなぁ、すごいなぁと思ってみてました。
が、実際自分がその立場になってみて思うこと。
私、一人前からはほど遠い><

今日から半人前開始な心持ちです。初期研修は半人前以下だったなぁ、って改めて思いました。
考えているようで、頭を使いきれていないというか、一人で判断を下すことは無いから。

一人で患者さんを診られるようになるのはいつの日でしょうか。
毎日毎日を着実に過ごしていくしかない。
一人一人の患者さんと真剣に向き合っていくしかない。

着々と成長してる(はず)だから。
今日が新たなスタートです。

Mar 31, 2012

研修修了

わたくし、はやたま、本日をもちまして2年間の初期研修を修了いたしました。
臨床研修センター長にも言われましたが、実は私自身が一番ビックリしています。
まさか、2年でちゃんと終えられるとは思わなかった。



思えばいろんなことがありました。
気持ちのバランスを崩して途中仕事をお休みした期間もありました。
その前後で働き方や自分の心持ちが変わったのも事実。

同じような生活をして同じような仕事っぷりだけど、だけどとても楽に楽しく幸せに生きられています。
仕事を頑張らない訳ではなくて、出勤してから退勤するまでは仕事一生懸命だし勉強もします。
いろんな患者さんにいろんなことが起きて、頭のキャパオーバー気味なこともあります。
なんだけど、気張ってる訳ではない。マイペース。

家に帰ってから勉強が残ってることもあるけど、でも基本的には家の数時間でリフレッシュをはかれていて、また翌朝頑張れる。
週末に一日お休みをもらえた時に、その中でやりたいことをやって、気持ちをリセットできてる。

今思えば、あの1ヶ月が私の人生を大きく変えてくれたんだと思います。


失敗して落ち込んだことも多々。手技が出来るようになって喜んだことも多々。
体力の限界を感じてもう無理!!ってなったことも多々。
上の先生に褒めてもらえて嬉しくなったことも多々。
自分のダメさ加減を実感して落ち込んだことも多々。
患者さんが良くなってくれて嬉しかったことも多々。
患者さんに言われた言葉が嬉しくって仕方が無かったことも多々。
担当してた患者さんがその後亡くなったと聞いて涙したことも多々。

2年間で、嬉しかった時に共有してくれたのも周りの人たち。
2年間で、悲しかった時に支えてくれたのも周りの人たち。
本当に沢山の大切な人たちに出会いました。
ありがとうございました。
そして、今後もよろしくお願いいたします。

Mar 27, 2012

○○る


という表現、若い人を中心に日本人みんなけっこう頻用している気がします。
「る」を付けることで動詞にしちゃおう、っていう。
コピる、とか。

病院でもけっこう使われています。
もちろん、コピる同様、あくまで口語体ですけど。

さて、クイズです。
それぞれ、どういう意味でしょう?

① タキる
② ステる
③ デプる
④ ネクる
⑤ アテる

①頻脈になる
英語のtachycardiaから来てます。
②死亡する
ドイツ語のステルベン(spell分からないけど)から来てます。
③鬱になる
英語のdepressionから来てます。
④壊死する
英語のnecrosisから来てます。
⑤無気肺になる
英語のatelectasisから来てます。


私は変な英語とかドイツ語が混じって使われてるのがなんか気持ち悪くて好きじゃない。
例えば、胃に入れる管のこと、日本語では胃管。英語ならgastric tube。
でも、病院では何故かマーゲンチューブなんです。
ドイツ語のマーゲン(=胃)に英語のtube(=管)を合わせて作った日本独特の言葉です。

医療用語はただでさえ分かりにくいのに、こういうのがあるから更に分かりにくいんだと思うんですよねぇ。。。

Mar 25, 2012

身の振り方

某所で女医の仕事について語る(?)機会がありました。
私が話せることなんてたかが知れているのですが、だけど、この機会をもらえて良かったな、って思いました。

というのは、他の先生の話を聞けたから。
先輩女医さんたちがどういう道を辿って来たのか。
女性が医師をやることのメリットとデメリット。
結婚はともかくとしても、出産・育児のタイミング。

先生曰く、
・女医さんの旦那さんの一番の条件は、女医さんの仕事に理解があって家事育児も協力してくれる人(笑)
・大学院というのは、研究にとって研修医時代のようなもの。育児は比較的しやすい時期とは言われるが、育児とかぶせてしまうと研究で成果をあげるのは難しい。
とのこと。

なんかちょっと眼から鱗が落ちたというか、今後のことを考えるきっかけになりました。
私は、自分の夢をつかむのは自分、という信念で行動してきています。
でも、改めて、自分の将来について考え始めました。

最終的にどこでどんな医者になっていたいのか。
臨床と研究のこと。
留学のこと。
大学院や結婚出産のタイミング。

うーん。

Mar 24, 2012

mask bagging

今日、後輩の話を聞いていて、医者になって使えるようになったものの一つに、ジャクソンリースがあるなぁ、と思いました。
1年目の最初は、感覚が全く分からなかったんですよね。気づけば、今は毎日使ってる。ほんの小さなことだけど、こういうのの積み重ねで成長して行くんですよね、きっと。

bag valve mask(BVM)、つまりは口に当てて呼吸を助けてあげるのに使う器具は、大きく分けると2種類あるんです。

①自己膨張式 アンビュー


これは、学生のときからなじみのあるものです。
何の技術もいらない、というと語弊があると思いますが、基本的には誰でもあんまり理解してなくても使えます。
救急の勉強会の多くでもこれを用います。

左側に写ってるマスクを患者さんの口にあてて、真ん中の風船みたいなもの(バッグ)を押せば空気が入って行くという、極めて分かりやすい構造です。
この風船は弾力のあるもので、押した後は勝手に膨らんできます。(=自己膨張式)。

医療ガスなどをつながなくても、周りの空気を取り込んで勝手に膨らむので、どこでも使えます。
ただし、高濃度酸素を投与するのには向かない(空気と混じってしまう)ので、リザーバーを付ける必要があって(酸素をためておけるように、袋をバッグの後ろ側に取り付けておく)、それでも細かい酸素濃度設定はできませんし、フリーフロー酸素(酸素を口周りに適当に流しておくこと)は難しいです。


②流量膨張式マスク ジャクソンリース
一方で病院で多く使われているのはこちらです。
麻酔科も小児科もICUもみんなこれ。

右側に写ってるマスクを患者さんの口に当て、緑のバッグを押して空気を送ります。
なのですが、 見ての通り、弾力の無いものなので、医療ガスの空気なり酸素なりにつながないと使えません(=流量式)。

その代わり、バッグが柔らかいタイプなので、どれくらいの圧力をかけて押すかを簡単に調節できますし、押すのにどれくらい硬いのかも実感できますし、PEEPをかけることも簡単です。
高濃度酸素が流せますし、酸素濃度を調節したものをそのまま流せます。

ただし、ちょっとしたコツが必要で、医療ガスにつなぐので流量とリーク量を調節しないと、バッグが膨らみすぎたり膨らまなさすぎたりがあります。
慣れてしまえばこっちが圧倒的に使いやすいんですけどね。



医者として当たり前といえば当たり前で、学生の時は研修医とか上の先生が言ってましたけど。
流量式の方がいいって言って使えるようになったのも2年前と比べたら進歩。

Mar 21, 2012

リスク

先日、某先輩に聞かれました。
「この子、家に帰したら危ないかも、と思う子はどうするの?」

確かに、います。
この子を家に帰すの不安っていう子。

自分の子がかわいくない人はいない、と信じてはいますが。
でも、面会にあんまり来ないとか、面会時の態度とか、いろいろ見ていて。

ちゃんとかわいがってもらえるかな?
ちゃんと面倒見て育ててもらえるかな?
ちゃんと注意深くみててもらえるかな?

いろいろと思うことが多々あります。
でも、私たちは基本的に病院で待っているしか出来ません。
積極的に家での状態に突っ込んで行けません。

家での状況を把握して、適切な指導をしてくださるのは、やっぱり地域です。
保健師さんだったり、市役所の方だったり。

もともとNICUの卒業生たちは、保健師さんがフォローしてくれることにはなっています。
そのため、我々側も保健所にお手紙を書く(紹介状的なもの)ことになっています。
その時に、私たちはこういう不安を持っています、という話を伝えておくとより密にフォローしてもらえるのだそうです。
その話を聞いて、少しだけ安心しました。

子供たちがみんな愛情いっぱいで育って行けますように。

Mar 15, 2012

とあるお母さんが、初めて我が子(600g台)を抱っこしたんです。
ようやく急性期を乗り切って、我々としても少し安心したといったタイミングの子です。
お母さんはとっても大人しくて、あんまり感情表出のない感じの方です。
(だからこそ、むしろ私としては気になって、面会にくる度にお話をするようにはしてましたが)

抱っこして泣いてました。ただただ、涙が流れてた。
○○くん、呼吸も自分で頑張っていて呼吸器での補助はいらないんですよ、とか。
おっぱいの量も増えて来て、減っていた体重も少しずつ増えるようになってきましたね、とか。
状態としては悪いことはなくて、むしろ良い方向の話なんだけど。

実体験はないから、気持ちは想像の上でだけど、でもお母さんのその気持ちが痛いほど伝わってきた。
多分ね、保育器の中に入ってる状態で見てるのと、実際に抱っこするのって、抱っこした方が大きさも重さ(軽さ)も体感するんだよね。我が子が頑張ってるのをすごく感じるんだよね。小さく生んだんだって実感もするんだよね。

NICUに行ってまだ1ヶ月半の私だけど、それでも赤ちゃんたちの小ささには慣れて来てる。
でも、初めてお母さんの涙を見て、初心に返された感じがした。
赤ちゃんの頑張りと、お母さんの頑張りと不安と申し訳なさと。
ひっくるめてNICUだよね。

Mar 13, 2012

ライン

新生児はラインが入りにくい、という話は以前書きましたが。
新生児の点滴は、大人から考えるとありえないくらいの少量です。

大人だと、最小量でも20ml/hrとかで点滴をしますよね?
脱水とかあれば、250ml/hr以上だったりとか。
子供ですら、10ml/hrとかで点滴したりします。

でもでも。
超低出生体重児は、1ml/hr以下の世界で調節しています。
血糖が低いからちょっとGluを増やすのに、0.2ml/hr増やしたりとか。

体重によっては、投与できる点滴量はいろいろなのを合計して2ml/hrとか。
その中で血糖、栄養、薬、などに割り振ります。
計算がなかなか難しいんです><

入れる量がこんなだとしたら、当然、採血量だってそう。
例えば、50kgくらいの大人の人から5ml採血をするとすると、体重500gの子では、0.05mlな訳で。
500gの子から、1ml採血したら、50kgの人では100mlなんです。
恐ろしや。

しかも、新生児科が対象としている子は、体重差がものすごい。
400gくらいの子から4kgくらいまで。その差、10倍。
体重換算が非常に大切になるのが納得です。

Mar 7, 2012

説明文

患者さんに病気を説明することは、日常業務といえば日常業務です。
でも、逆に、病気の説明を受けることは、非日常です。
患者さんは医学のことなんて詳しくないし、基礎知識だってないのだから、分かりやすく説明する必要があります。

去年、妊婦さんたちの母親学級のパンフレットに挿絵を描かせてもらいました。
医学的な話も分かりやすく伝えたかったし、見よう・理解しよう、って思ってもらえるようなものにしたかった。
とても好評で、初めて趣味・学業が仕事に生きて、本当に嬉しかったです。
私が将来的にやりたいことの一歩を踏み出せた気がした。


そして、今週。
とある患者さんに病気の説明をするプリントを作ったんです。
2-3時間くらいかけて、その病気の症状・合併症・病気の原因・診断や検査・今後のこと、などを盛り込んで、絵などを交えながらA4 3枚にまとめました。
一部をお見せすると、こんな感じ。



そしたら、上の先生たちに褒めてもらえて、嬉しかったです。
というよりも、褒めてもらえたことよりも「分かりやすい」って言ってもらえたことが嬉しかったです。

分かりやすく情報発信していく人になりたいから。
「分かりやすい」という言葉が本当に嬉しかった。
短時間で作ったから、しかもパンフレットとかではなくて説明のプリントだから、学校の課題として提出したら微妙な部分が沢山あるのは分かってるけど、それでも、「分かりやすい」って言ってもらえたことが嬉しかった。


忙しくても、少しずつでも、こういうことをやっていけたら嬉しいな、って思いました。
もちろん、先に医学的な知識技術を身につける必要があるのも分かってて、その努力が今の私には一番必要なことも分かってはいます。
それとは別に、患者さんへの分かりやすい情報発信、よりよい治療や子育てが出来る支援が出来るようになりたい。

Mar 5, 2012

流産と早産

法律的には、境目は22週0日です。
21週6日までは流産、22週0日になったとたんに早産です。

でも、医学的にはその数時間で変わる訳では有りません。
当然、22週台前半は予後が厳しいです。
生存率だけで言っても、半分以上となってくるのは23週後半以後と言われています。


つまり、22週0日に出産に至ってしまった場合。
初期蘇生も難しいかもだし、蘇生できても急性期を乗り切れないかもしれない、まして急性期を乗り切れたとしても完全ん後遺症無くintactに退院できることは難しいかもしれない。

例えば、26週で何らかの要因(母体要因、胎児ジストレス)があって妊娠継続が厳しければ、緊急帝王切開で出してあげます。
でも、世界的にも22週では積極的に出してあげることはしません。出さないのと出すのとで厳しさが変わらないどころか出した方が厳しいかもしれないから。
どうしても妊娠が保たなくて経膣分娩に至ってしまった場合には仕方がないですけど。

法律的には線が引けても。医学的には線は引けません。
赤ちゃんは徐々に成長し、徐々に外の世界で生きて行く準備をしていくのです。
医学が進歩したとは言っても、手助けできる限度があります。
改めて現在の限界を考えさせられました。

Mar 2, 2012

ダメ、絶対

とかいう標語ありませんでしたっけ?
でも、ホント、「ダメ・絶対」です。

ママが1日60本のタバコを吸っていたという赤ちゃん。
週数に比して、とってもとっても小さく生まれました。
しかも、タバコによると思われる血流不全があって、細いくねくねした血管しかなくて点滴に苦労するという。

タバコの害を目の当たりにし、改めて、タバコの恐ろしさを実感しました。
タバコ、赤ちゃんに悪いのも当然ながら、子供たち、大人、みんなにダメです。
良いことなんて一つもない。

これをお読みの皆様。
タバコは絶対にダメです。

妊婦さんが吸うのも言語道断だけど、パパや他の家族が吸っていても、受動喫煙で結局影響を受けます。分煙でもダメなんです。禁煙してください。

一人でも、タバコの害を受ける赤ちゃん、子供たちが減りますように。

Mar 1, 2012

負担

NICUでの研修を始めています。
今月までは研修医という立場、来月からは同じ職場で小児科医となります。

今のうちに、いろんな子を診ておきたいという気持ちがあることもあり、入院の子が来た時には、その時に私が急性期の大変な子を担当していない限りは名乗りをあげてます。
もちろん、結局は急性期の子が少し落ち着いたタイミングで次の担当の子を取るので、私がすごく多い訳でもなく、バランスよく各グループに割り振られてますけど。
 (誰かが生まれたり搬送になったりした場合には、みんなで初期処置をして(処置をする人、オーダーを入れる人、体重換算で輸液その他を計算する人、などけっこう人手は必要なのです。)、翌日になってからprimaryの担当医が決まります)

だけど、最近思うんですよね。
私が診たい!って担当させてもらっても、結局の所、私の頭や技術じゃ全くもって足りないから、上の先生におんぶにだっこで頼ってる状態。
結局、私が担当させてほしいって言うことが上の先生に負担をかけてるんじゃないか、って今日ふと思ってしまって。

しょうがないとは思うんです。
最初の頃はどうしたって一人じゃ診れない。
そうやって成長して行くんだとも思うんです。
でも、上の先生たちの忙しさを見ていると、自分の出来なさがどうしようもなく悲しく申し訳なくなる。
早く成長したい。

Feb 29, 2012

体質とつきあう

NICUに入院する子たちの中には外科疾患がある子がいます。
先天性のものの多くは消化管。後は、心臓。合併症などで脳外科のお世話になることも。

そして、前も書きましたが、今の病院では我々Nの者もオペに一緒に行きます。
多分、病院によるんだと思います。

手術室では、麻酔科のお手伝いだったり、手術の状態を把握したり。
麻酔科の先生もけっこうNの先生に相談してたりするんですよね。
なんだかんだ、新生児のことを一番知ってて、全身管理が得意なのはNの先生だから。
挿管チューブの太さや深さ、点滴速度、術中の細かいバイタルの把握など。
大人なら麻酔科に一任のことも、けっこうNの先生たちが気を配ってたりします。

それは別にいいんです。
私もそのうちに少しは分かるようになるんじゃないかとも思うから。


なんですが、一番の問題は、オペ室が非常に暑いこと。
年をとって、だいぶ良くなったとは言っても、NMS?OD?がある、私は長時間の起立は苦手です。
気持ち悪くなって来て、脈が速くなって来て、それでも我慢してると、あっと思った時には目の前が真っ白になってしまい、倒れる前にはしゃがみこんでしまいます。

私の場合、特に暑さ、空腹、体調不良、緊張、強い光などの刺激で交感神経が興奮している状態だと余計に引き起こします。

NICUでは赤ちゃんたちは保育器などに入ってるので、基本的に私たち医療者は立っての処置が続きます。
Nの部屋は28℃くらいで湿度も高めに設定されているので、そもそも苦手な環境。
しかも、保育器の中は暑い。そこに腕を入れて処置を続けていると、たまに倒れ込みます。

大学で新生児グループを回ってた時も数回起こしました。
今のNに来てからも数回起こしてます。
だから極力薄着で過ごすようにしてます。夏が不安ですけど(笑)

で、話を戻すと。
新生児のオペでは、赤ちゃんは裸でお腹を開けられていたりとかする訳で、とにかく体温を保つことが大変なんです。
だから、部屋の温度は30℃以上に設定されているし(この間は35℃設定でサウナ状態でした><)、更に保温ライト(イメージ的には、焼き鳥とか、コンビニの揚げ物コーナーのようなライト)も使うので、本当に暑い。

しかも、何時間も立ちっぱなしなので、私は途中でたいてい気持ち悪くなって来てしまいます。
頑張って脚の屈伸運動してみたり、足を伸ばしてみて、少しでも脳血流を保とうと頑張ってます。
それでも無理なら、誰か上の先生が来てくれたタイミングで外にでて、涼しい空気で休憩。

筋力の問題とか体力の問題とかではないと思うんだけど、少しでもと思って腹筋や足の筋トレしてみたりしたけど、やっぱり反射なのでしょうね、効果はイマイチ。たまたま、今の上の先生が同じ症状に昔苦しんだらしく、とっても理解してくれるので有り難い限りなのですが。
早く慣れないかなぁ。。。

Feb 22, 2012

HTLV1

妊婦さんって、いろんな感染症をチェックされます。

HIV(エイズウイルス)、HBV/HCV(B型肝炎、C型肝炎)、梅毒、など術前検査でも行うようなもの。
それから、HTLV1(成人T細胞白血病ウイルス)も加わるのが特徴的かな。
トキソプラズマや風疹などもチェックしたり。
さらには、GBSやクラミジアといった病原体も確認します。

これは、赤ちゃんに感染させてしまう可能性を考えるから。

感染症が分かった場合には、出産方法を考えたり(例えば、HIVなら帝王切開にするとか)します。
生まれた後の赤ちゃんが具合が悪くなった時に感染症を起こしている可能性のある病原体を推測する上でも大事です。
また、母乳をあげていいのかどうか(経母乳感染、という感染ルートもある)ということにも関与してきます。

GBSといった、普通のばい菌がいるかいないか、ということはともかく。
HIVやHTLV、HBC/HCVが分かった際に、お母さんにお話をするのは気を使います。
お母さんが自分を責めてしまわないように。
子供にとって最善の対策はどうしたらいいのか。
上の先生がお話をしているのを隣で聞いていて、話し方・説明の仕方から学ぶことが多いです。

Feb 21, 2012

挿管

大人では麻酔科などで沢山やってきた手技。気管挿管。
口から気管まで管を入れて、呼吸を助けてあげる、という。

今日、初めて超未ちゃんに挿管をしました。
そもそも、赤ちゃんに挿管をしたことは人形での練習を除いて本当の患者さんでは1回のみ。しかも3kg近かった子でした。

が。
本日挿管が必要になったのは900gの子。
口も小さければ、気管も細い。
しかも、元々鼻からの呼吸補助(nasal CPAPやnasal CMV)を行っていたこともあり、口から喉頭まで泡泡でいっぱい。

1回目。
喉頭展開をして(口から器具を入れて、喉まで真っすぐ見えるように舌を持ち上げる)、小ささにビックリ。まずは全く見えないから泡たちを吸引。そうこうしている間に時間が経過するため、bagging。

2回目。
1回目を踏まえ、喉頭展開してまずは泡を吸引。喉頭展開が上手くいかず、声門が上手くとらえられず。喉頭蓋自体は持ち上げない大人と違い、喉頭蓋も持ち上げる、と指導される。再度bagging。

3回目。
きちんと声門をとらえられたものの、
挿管チューブを差し込もうとした際に舌がずれてしまって見えなくなる。再度bagging。

4回目。
同様に挿管チューブを差し込もうとチャレンジするも、声門でひっかかり、進まず。押したら食道側に行ったためすぐ抜いてくる。ゆっくり押しあてるようにして、呼吸に合わせて開いた瞬間に入れる、と指導される。再度bagging。

5回目。
ちゃんと挿管成功。

ちゃんと入ってよかった。本当に。
baggingをしてるから本人は苦しくないし、声門周辺をつついた回数は少ないとはいえ、何回もでごめんね。
そして、これだけチャレンジさせてくれた先生たちにも感謝です。
当直で必要時に一人でも出来るようにならないと。

Feb 20, 2012

生の重さ

命って大事です。何よりも大事です。
生きていることは尊いと思うんです。
だけど、生活というのも生命と同等に重たいと思うんです。
同じ、「生」だと思うんです。

昔から、理想の医師像は「知識や技術があることが大前提で、その上で、患者さんの生(生命・生活)に寄り添える医者」と書いてきました。
なんだけど、今日患者さんの話を聞いてて、改めてそう思いました。
初心を思い起こさせてくれた患者さんの言葉たち。


赤ちゃんの命も大事。
ご両親や今いる兄弟の生活も大事。

その間で揺れるご両親の気持ちは痛いほど分かります。
いえ、正確にいえば、まだ結婚もしていないし子供もいない私だから、想像しかできませんけど。
しかも、多分、命を天秤にかけているということに対する後ろめたさもあると思うんです。
だからこそ、どうしていいか分からない。
多分、お母さんとお父さんとでまた思いにズレもある。
でも、多分、悩むことを途中で止めてしまったら、後悔が残るんだと思う。


正しい答えなんていうものは存在しません。
多分、ご家族が納得した、後悔のない結論が正しいんだと思います。

悩んでもらえているというのは、どちらに転んだとしても、赤ちゃんにとっては幸せだったと思うんです。
悩んですらもらえない赤ちゃんだって沢山いるんだもの。

命と生活。
生活と生活。
いろんな生の間で悩んでいるご家族の気持ちに寄り添える医者になりたい。

Feb 17, 2012

ご両親と話すということ

私、まだNICUに行って3週間の研修医です。
まだまだ赤ちゃんたちのこと分かってないし、勉強中の身です。

ご両親とお話をすることは私の中ではハードルが高く感じています。
お話する内容がちゃんと正しいことなのか。
質問されても私には答えが分からないことも多い。
お母さんたちの悩みがまだ想像もつかない。
何の話をしていいのか分からない。
お子さんの状態や疾患によっては、どう話していいか分からない。

そんな思いでいっぱいです。
でも、ちゃんと担当医になりたいから。ちゃんと新生児科医になっていきたいから。
ご両親が面会にいらしたのを見かけたときは、その日のカルテを見直して(予習というか復習というか)から出来るだけお話をしに行くように心がけてます。

赤ちゃんの今日の状態、少し成長した部分とか、新しく始めたこととかをお話したり。
質問されて私には分からないことも沢山あるけど、分からないから聞いてきますね、って言って確認に行ったり。
お母さんたちに質問をされて、はっとすることも多いです。

上の先生がお話をしているのを見かけると、やっぱりすごいと思います。
私もそういう会話を出来るようになりたい。
赤ちゃん・ご両親に寄り添って行ける医者になりたい。

Feb 16, 2012

検査

赤ちゃんたちは検査のほとんどが病棟で行います。

採血しかり、エコーしかり、X線しかり、心電図しかり、脳波しかり。
基本的には、ポータブルでオーダーをして、ベッドサイド (保育器に入ったまま)で行います。

他科の併診もしかり。
NICUの病棟にその科の先生が来てくれます。
外科、眼科などなど。

なんだけど、どうしても検査室に行かなくてはいけないことが、ABRやMRIやCTといった、動かしようのない機械が必要な検査です。
そして、そういった検査は動いてはいけないので、鎮静薬(眠くなる薬)を飲んでもらって、寝たタイミングで検査室に連れて行きます。

飲み薬の鎮静薬はそんなにしっかりと眠る訳ではないのですが、それでも呼吸が浅くなったり、呼吸を止めてしまう子もいるので、連れて行くのは我々医者の仕事です。

呼吸が危なっかしいような子であれば、酸素や蘇生道具の入ったバッグも持って。
呼吸が大丈夫な子であれば、モニターだけ持って。

初日は(挿管・人工呼吸中の子だったし)上の先生がついてきてくれたのですが、以降は落ち着いてる子ということもあり、私一人。赤ちゃんを抱っこして検査室に行くことをこの数日何度もしてます。

赤ちゃんを抱っこすることも慣れてきました。
左腕で赤ちゃんを抱っこして、右手でエレベーターのボタン操作やドアの開け閉めとか、そういうことも難なく出来ます。

が。
私が歩くと、その振動が伝わるのか、よく寝てたはずなのに突然うーんって伸びをし始める赤ちゃんもいたりして、むしろそっちがヒヤヒヤです。
ちょっと怪しいけど、すり足状態というか、極力揺れないように頑張って連れて行きます。帰りは普通にスタスタ歩きますけど。

赤ちゃんを抱っこして歩き、途中でいろんな人にかわいいーって声をかけられると、ママになる練習してるみたいな気分になります(笑)

Feb 14, 2012

血管

子供って、本当に本当に血管が見えない子は見えないんです><
血管細いし。。。でもそうそう失敗できないし。。。

という訳で。
そんな小児科研修医の力強い味方が、これ。

名前よく知らないんだけど、とにかく私はこれに頼りっきり。
病棟によっては、置いてあるところもあるみたいなんだけど、今のところにはなくて、先輩の私物を毎回お借りしてる状態なんです。

という訳で、思い切って購入。
そのうちこれに頼らなくても血管確保できるようになるのかなぁ。
でも、A(動脈)刺すなら絶対必要だしねぇ。

ちなみに、使い方は簡単。
この黒い箱が電池が入ってる本体で、電源を入れると、丸い部分が赤く光ります。
で、それを子供の(赤ちゃんの)手に握らせるように、自分の手で赤ちゃんの手とこれを固定。
そうすると、透けて血管が見えるという仕組み。

イメージはこんな感じ。

分厚い私の手でやってるからあんまり綺麗に見えてないけど、赤ちゃんとかだととっても綺麗に見えます♪
でも、見えるのと入るのはまた別で。。。
いかんせん、いれる点滴の針よりも細いような血管にさして、押し広げて点滴を入れるような状態なので。。。

でも、これで少しは安定して血管確保できるようになるかな?