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Mar 29, 2011

1年目終了

今日で無事に1年目の研修をすべて終了しました。

無事、なのかな。
若干無事ではないので、いろんな人のサポートが入ってますが、それでも一応終了しました。

4月4日からは2年目医師としての研修をスタートします。
ちなみに、病院は変わりません。
慣れた環境で2年研修をする、ということを選んでおいてよかったと思います。


うまく言えないけど、一年前と比べて、とっても成長をしていると感じます。

1年前に血液内科を回り始めたときの、右も左もわからない、どうしたらいいのか分からない、というのはなくなりました。
まだまだ、全然分からないことがたくさんありますが、それでも、何が分からなくて、何が分かるのか、が分かるようになりました(笑)

その患者さんにとって、何がproblemなのかを考えて、それぞれに対して鑑別を立てて診断していくこと、それに対するplanを立てること、という当たり前の診療の流れが少しずつ身に付いてきています。
患者さんとお話をするのも、前よりも慣れてきたと思います。
採血やルートに始まり、いろんな手技にも慣れてきました。

医者として生きていける気が少しずつするようになりました。
多分、こうやって少しずつ成長していくんだろうなぁって思います。


さて。
明日から3日までの間は臨時ER研修医です。
病院から研修医がみんないなくなる(次の病院に移動、前の病院からの移動、オリエンテーション)ので、その間は2年間同じ病院にいる研修医でERをまかなうんです。

それが終わったら、4日からは精神科です。
患者さん曰く、「一番感染率高い科らしいから、気をつけてね。先生なら大丈夫だろうけど」とのこと。
確かに、お話を聞くのが辛い科ではあるかな。

ま、なるようになるさ!

3人で2時間

なんの数字でしょう??

答え。
私今日で腎臓内科終わりなんです、と患者さんに伝えるのにかかった時間。

年度末ということもあり、どんどん退院させて、でもこの1週間はほとんど入院患者さんを入れません。
なので、先週末6人いた患者さんも、本日お別れを言うときには3人。

でも、その3人に挨拶するのに2時間かかったんです。
単純計算、1人40分!
先輩には、「愛されてるねー」って言われたけど、そういう問題ではない気がする。。

でも、みんなにとっても感謝されました。
私だったから、いろいろお話できたし、疑問もたくさん聞けたし、よくなってると思うのよ、って。
こんなに感謝されて終わる科って初めてかもしれません。

まぁ、今までって言っても、呼吸器内科と老年病内科だけですけど。
血液内科はそれどころではなく終了でしたし、麻酔科やERは引き継ぎもへったくれもなかったので。

まぁそんなこんなでお話しすること2時間。
たくさんの勇気・元気をもらった2時間でした。
来年からもがんばろう、って。

Mar 24, 2011

現実

私は今まで現実を知らずに過ごしていました。
おめでたいというか、世間知らずというか、
でも、今日、現実を知って、涙が止まらなかった。

後一週間後には、一年目研修医ではいられなくなる。
一年が早くも終わる。
二年目になる焦りも沢山。
というわけで、仕事が終わった後に今までのサマリーやらを整理してたんです。

私は今までじぶんでお看取りをしたのはERでの脳死のお看取りのみです。
その時のショックは以前書いたかと思います。

危ない、危ない、と言われながら(いかんせん、回ったのが血液内科、呼吸器内科、老年病内科)
危ない感じの患者さんも無事に退院になったり、次の研修医に引き継いだりしてたんです。
退院した患者さんの場合、後は外来主治医にお任せですし、引き継いだ患者さんの場合、1週間ちょっとはフォローしますが、その後は中々難しいです。

サマリーをみてて気付いたんです。
亡くなってる方が沢山いる。
この、短い間に、亡くなってる形がたくさんのいる。
思い入れのある、たくさんの患者さんが、その後に再入院して亡くなってたり、引き継いだ後に病院で頑張ってて、でもダメだったりしてました。
死亡退院の最期の様子などをカルテで読んで、涙が溢れてきた。

みんな、それぞれの人生を生き抜いて亡くなっていく。
家族もそれを受け止めていく。

医者の仕事の半分は、元気になってもらい、元気に過ごしたもらうお手伝い。
もう半分は安らかな最後を迎えられる、誰にも後悔を残さないお手伝いじゃないかな、って思ったんです。

今の私はまだまだ足りない。(当たり前なんだけどね)
成長したことも沢山ある、って思えることを糧に、来年からも少しずつ成長してこう、って思います。

Mar 20, 2011

いま出来ること

私がいま出来ること。
1。普通に毎日の仕事を頑張る
2。節電
3。(今のお財布状況は厳しいので)落ち着いたら募金

節電や募金については世の中で言われてるから省略。
普通に仕事を頑張る、について思ったこと。

普通に、って結構難しいと思うんです。
私自身も普通の状態ではないし。
停電もあるし、電車も普通じゃないし。
買い占めを私はしてないけど、確かにスーパーには何もないし。

でも、普通に日々を地道に生きないと、って改めて思ったんです。
隣の家の赤ちゃん(6ヶ月)が、最近とっても泣くんです。
夜に数時間おきにお腹が空いて泣くのは終わってたのに。
最近、すごい勢いで泣いてるんです。

多分ね、世の中の空気を察してるんだと思うんです。
子どもは適応力が大きい分、敏感です。
被災地でも、子供達の心の二次災害が問題になってるくらい。
http://t.co/TpEbh8p
ニュースでも、被災地の子供の描く絵が普段と全然違ってて、心の中を表してる、というようなことも見ました。
相当なストレスだろうと思います。

けど、ここは東京です。
東京で、被災地ではない東京で、大人がパニックになり、買い占めをしてテレビにかじりついて殺気立っている。
その殺気に子供が反応してるんじゃないかと思うんです。

子供は、お母さんの顔から笑顔が消えて無表情になっただけで、不安になって泣きます。
地震で怖いのに、大人の殺気でさらに不安にさせてどうするの、って思ったんです。

多分、大人だって奥底ではそうだと思うんです。
不安が不安を呼んで、悪循環になってる。
いざという時の為の備えは大事でも、過度に騒ぐ必要はない。

こんな時だから、毎日普通に笑顔で、普通に自分の仕事をやる、普通に地道に生きるって大事なんじゃないかな、って。
そう思いました。
今日も普通に仕事を頑張ろう、って思いました。

皆さんどう思いますか?

Mar 19, 2011

被災者

なんとも情けない日記を書いたばかりですが。

うちの病院にも、昨日から続々と被災者の透析患者さんたちが来ています。
都庁に泊まりながら、うちに透析をしにくるらしいです。

他の科にも来てるのかな?
とりあえず、腎臓内科には来てます。

透析条件なども分からない中で、とつぜんの患者さんの透析をするのも大変みたいです。
でも、血液検査の値はかなり驚きでした。
Cre(クレアチニン)19、K(カリウム)7、BUN(尿素窒素)120の70歳の方とか。
びっくりです。よく生きてましたね、っていう。

透析する前も終わった後も、かなり辛かったんじゃないかな。
(透析は前後の違いがあればあるほど辛い)

こうやって、数人でも被災地から受け入れて、みんなで助け合わないと。

でも、ふと思うと、糖尿病で透析になったような、いわばまぁ、自業自得的な人から先に助かるっていうのもなんだよねぇ。
子供達とかどうなってるんだろう。
大丈夫なのかな。
脱水とか飢餓に弱いのに。
一人でも多くの人が無事でありますように。

災害時に役立たずでごめんなさい。

ごめんなさい。医療者としてあるまじき発言かもしれません。

でも。
私も人間なんだもの。
25歳の普通の女の子なんだもの。

今日は連休初日ですが、朝一から点滴を刺しにきました。
昨夜から入れててもいいけど、本人にとっては夜の間点滴がない方がいいから、今日の朝早くに来ました。
これはまぁ、別にいいんです。

そして、明日はその患者さんは外出に出かけるので、難しくて苦労した点滴は抜かれます。
旦那さんがね、家に数時間でも連れて帰りたいんだって。
明日の夜に病院に帰って来て、月曜日はまた点滴をするので、朝一に私は点滴を刺しにいきます。

こうして三連休が過ぎゆきます。
ちなみに、私は日曜日はオンコールです。

研修医の体調よりも、患者さんの外出や夜の過ごしやすさが優先されます。
さらに、当直の先生にお願いするのは申し訳ないんだから、と研修医が行く。

普段ならなんとも思わないのにな。
地震酔いで毎日半泣きになりながら勤務している身には辛いよ。
めまい止めを最大量飲んでも気持ち悪いのに。
医者として、そんなこと言うべきじゃないかもしれない。
被災地を思えば、こんなのなんともない。

でも。
辛い。泣きたい。
気持ち悪い。

Mar 13, 2011

地震

東京にいるのに。
東北より遥かに平常な東京にいるのに。

それでもかなりの回数揺れている。
車はおろか、電車ですら乗り物酔いする私。
3.11の日は、途中から、ビニール袋にゲーゲーしながら仕事する始末。
患者さんの前では気持ち悪いとは言わなかったけど。
でも、顔真っ青だけど大丈夫?東京は大丈夫だよ、などと患者さんに言われる始末。

地震の際に、役立たずなことを痛感してしまった。。
その後も極量の量の酔い止め、めまい止め、吐き気止めを連日飲む日々。
それでも、気持ちが悪く、それで消耗してる感じ。

でも、東北関東大震災とか名付けれているのに、私は何ともない。
被災地の映像を見る限り、とんでもない状態。

何かしたい。

けど、具体的に何をどうしたらいいかが分からない。
募金の方法は報道されている。
今の状態も報道されている。

でも、具体的にどういう支援をどうしたら出来るか、なんて報道してくれていない。
物資も人手もいるはず。
どうしたら役に立てる?

Mar 11, 2011

地震


14時半から遅めのお昼にして、7階の研修医室でパソコンに向かいながらお弁当を食べていた。
その時だった。

揺れてる?
揺れてる!
あーすごい揺れてる!!!

隣にいた2年目の先輩たちの動きが早かった。
研修医室のドアを開け放った。
誰かが言った。「大丈夫、p波とs波が遠かったから、直下じゃない!」

どうしたらいいか分からなくて、でも立ってられなくて近くの柱にしがみついた。
物がすごい勢いで飛び交っていた。

自分は柱に(しかも、金属の)しがみついてるし、大丈夫。
次に思ったのは患者さんのこと。
あ、あの人は腹膜透析練習中だから機械につながれてる。
あ、あの人は血液透析中。
あ、あの人は自力では全く動けない。
あ、あの人は今嘔気嘔吐で大変なことになってる。

強い地震が収まった時、まだ揺れている中、階段で7階から12階まで駆け上がった。
揺れてたから、階段で1段踏み外し、手すりを持ってた手で支えたけど、左足の脛を強打。
それでも、駆け上がった。

12階についたら、2年目の先輩がいて、患者一覧を印刷していた。
二人で12階の患者さんを見て回った。

物が飛んできて当たったりしてないかどうか。
点滴が抜けてしまったりしてないかどうか。
カテが壊れたりしてないかどうか。

とにかく一回りしてから、15階へあがって。
患者さんの所をひとめぐり。
みんな大丈夫だった。

でも、その間も基本的にはずっと揺れてる。
そうこうしているうちに、自分が船酔いになってしまい、嘔気・めまいが止まらない。
オンコールルーム(当直室)で袋を抱えてゲーゲー言いながら休憩を取るのと、患者さんの所を行ったり来たりを繰り返し。
地震が起ころうがなんだろうが、患者さんが医療を必要としている状態には変わりないから。

2年目の先輩でERを回った人たちは、ERの初寮室に呼ばれていった。
救急外来に人が押し寄せていたらしい。
1年目の私たちは、病棟で自分の患者さんたちの仕事をこなして。

夜勤の看護師さんたちが来れないから、看護師さんたちも仕事が大変。
上の先生たちは家に帰れないから病院に泊まる人が続出。


私は、というと。
自分が船酔い状態で気持ちが悪いこともあり、寮が近いし、ERや病棟もとりあえず人手も大丈夫そうだから、と8時過ぎに帰宅の途へ。
公衆電話から実家・祖母宅に電話。
みんな無事だった。


家に帰るまでの道も人がすごかった。車もすごかった。
自宅について驚いた。
住める状態じゃなかった。

冷蔵庫・電子レンジ・ミキサー・炊飯器などがとんでもない状態。
CDが部屋に散乱。
時計は落ち(ガラス製だったけど、奇跡的に割れてなかった。上の写真のように、地震発生時刻で止まっていた)、神棚のお札も落ち。
奇跡的に、CDのケースが1つ割れた以外は、瀬戸物の類などは割れてなかったけど。
とりあえず、自力でどうにも動かないもの以外は戻して。

電気は大丈夫。水も出た。
でも、ガスが出ない。
ガスメーターの復旧とかそういう問題じゃなく、どうもマンション全体としてガスが止まっているらしい。
生きていて、怪我がないだけ幸せ。
家族も無事らしい。

自宅でテレビをつけてみて、血の気が引いた。
病院の中にいた時は、石油コンビナートが燃えているのが見えたり、火事があるのが見えたりしてた以外は、世の中がどうなっているのかは分からなかったから。
とんでもない状態。どうするの、これ。
自然の脅威って怖い。
ものすごい数の人が死んでる。
ものすごい数の人が家族を亡くしたり怪我をしたりしている。
ものすごい数の人が家や畑などを失くしている。


自宅の復旧したら、病院に戻るべきかな。
私はどうしたら、役に立てるかな。

Mar 10, 2011

吐物

とある患者さんのところで、お話をしていたら、隣のベッドから「おえーっ」っていう声が。
隣の患者さんは担当患者さんじゃないから、名前も知らない状態。
何の患者さんか分からない。

けど、とりあえずすぐ覗いてみたら、声が出ないくらい「おえーっ」っていう状態。
患者さんの元へ駆け寄ったら、そのまま吐いてしまい、私にもろにかかりました。。

何も持っていない状態。
マスクはしてたけど、手袋はしてないし、エプロンもしてない状態。
でも、そのまま処置。

腎生検後だから、上を向いた状態だったので、ひとまず顔だけを横に向けて、そこに出してもらい。
ナースコールを探し出して押して。
vital(血圧、脈など)は安定してました。

ちょこっと安心。
話を聞いたら朝から気持ちが悪くなってきた、と。
腹部症状はなし。
頭は重たく痛い感じはある、と。
薬のアレルギーで発疹は出たことあるけど、嘔気はない、と。

後部硬直なく、瞳孔正常、両手はとりあえず左右差なく動くし、眼圧も指で触る限りは亢進してなさそう、腹部所見もなし。
確認しながらもPHSで主治医に連絡。

その後ちゃんと落ち着きました。
意外と動けた自分にビックリ。


でも、落ち着いて帰って来てから、まずは肘上まで全部手洗い。
素手だったし。
白衣も取り換え。黄色いものがついてましたし。絶対かかってるから。
吐物がかかることはいいんだけど、その後が大変でした。。

Mar 9, 2011

来年

来年の予定が決まりました。

4月:精神科
5月:地域医療(各地の診療所に行きます)
6月:産婦人科
7月:小児科

2年目になってしまいます。
焦っちゃう。

今は、何かと2年目の先輩に頼り切ってるんだけど。
逆の立場になるなんて信じられない。

うちの病院では、名札の色で年数を区別してます。
医学生:青
1年目研修医:緑
2年目研修医:黄
3年目以上:白

黄色い名札が既に配られました。
色がだんだん薄くなってきています。
来年も頑張ろっと。

Mar 7, 2011

継続と進歩の狭間

病院を出たら、医学のことは考えない。
最近(特に7月に仕事復帰後)気をつけています。
on-offはっきりさせたいから。

家には医学書は1冊もありません。
個人情報の問題もあるし、自宅には一切仕事は持ち帰りません。
これを調べよう、これを勉強しよう、ということも基本的には病院内で終わらせて、家ではやらない。

まぁ、家では学生してて忙しいですし(笑)
医者を細く長く続けるためには、ね。


でも、最近の悩みの種の一つがこれ。
家で勉強しないからかなんなのか。
進歩があんまりない私。

たぶん、たぶん、1年前よりは進歩してると思うんです。
成長していると信じたいんです。
でも。。

当たり前なんだけど、できる人っていうのは努力をしている。
努力できることも才能の一つ、ってよく言いますけど、でもそう思う。
ちゃんと努力してるから、できる。

私もそう。
自分で自信を持ってることっていうのは、やっぱり努力をしていること。

だからね、病院出たら医学のことは考えない、っていうのは良くないのかな、とも思う。
けど、自分の気持ちを保っていくには、on-offの切り替えは必要だし。。

できる医者になりたい。
できない医者、使えない医者になっても仕方がない。
単に、働き続けている、という自己満足を得るだけになっちゃう。
でも、じゃあ、何をどう努力したらいいかも分からない。

継続と進歩の挟間で悩む。

Mar 4, 2011

点滴一本。されど一本。

点滴って、いいイメージがあるかもしれません。
確かに、私も吐き下しが続いた後に点滴一本してもらったらとても楽になりました。

口から食べれない時に水分や栄養を点滴します。
直接血液に流した方が効果がある薬剤もあります。

だけど、高齢者などでは逆に点滴があることでせん妄(一時的な認知症みたいな感じ。訳分からなくなってしまう状態になります)を起こしたりもします。
そもそも、若い人でも、点滴なんて痛いし邪魔だし。
悪いことだってあるんです。



とある患者さん。
癌terminalの患者さん。

気づいたら上の先生が、点滴を始めていました。
最初は、末梢栄養の点滴だったんです。
確かに、一日中寝ている状態が続き、食事が半分以下しか食べられていない日が続いていましたから、いいと思います。

でも、私は疼痛があるに違いないと判断し、麻薬の貼り薬を始めたら、意識状態改善したんです。
昼間起きているようになり、ご飯も7-8割は食べるようになりました。

起きているから、点滴が気になるらしく、いじってみたりと邪魔な感じでした。
その頃に気づいたら点滴が、ブドウ糖(しかも5%とか10%とかの薄いやつ)+NaCl(要するに塩)+ビタメジン(ビタミン剤)に変更になっていました。


この頃から、私は点滴が気になって気になって仕方がありませんでした。
せめて夜は止めてあげたい。
そう思って、20時までには終わりにしました。残りがあったとしても、残破棄、という指示にして。

それでも、やっぱり気になる。点滴を止めてあげたい。
点滴の中身と食事とをきっちり計算したんです。
点滴は200kcal、NaCl2g相当。
食事は2000kcal、蛋白70g、NaCl6g、K制限、主食ハーフ。
だから、主食ハーフを解除して、NaClが足りないならそれを食事に入れればいいではないか、と。

そこまで計算した上で、上の先生に点滴を止めたい、と相談に行きました。
先生には「え、看護師さんとかが嫌って言ってるの?」と。
流石に面と向かって「いえ、嫌なのは私です。患者さんも気にしてるし、口から食べられる間は点滴止めたい」とは言えなかった。
でも、掛け合ったお陰で(?)点滴を止められました。

すごく嬉しかった。
もう半ば分からなくなってきているとは言っても、邪魔なものは邪魔だもの。
食べられてるんだから、余分な管は1つでも減らしてあげたい。


そしたら、2年目の先生に言われました。
その1本の点滴を止めることにこだわる辺り、老年病に向いてるよ、と。
確かにそうかもしれない。すごく違和感があって、止めたくて仕方がなかった。
意味ある点滴ならいいけど、他で大丈夫なら他にしたい。
でも、何科に進んだとしてもこのこだわりは持っていきたい、って改めて思いました。

Mar 3, 2011

腹膜透析

腹膜透析導入の患者さんが入院してきました。
以前書きましたが、透析には血液透析と腹膜透析があります。

腹膜透析って今はそんなにいないんです。
自分で夜の間(または昼間)にやるので、血液透析よりも時間の自由はきくんです。
食事制限も比較的緩やかですし、体への負担も少ないです。

でも、自分でやるので、管理が大変なので、理解力のある人でないとダメなので、高齢者だと難しいし。
腹膜がだんだん痛んでくるので、そのうち血液透析に移行しないといけないし。


多分、あんまりイメージつかないと思うので、どんなのかを。
まず、お腹の中にチューブを入れる手術をします。
といっても、単にチューブを入れるだけなので、傷はとっても小さいです。

このチューブを用いて、透析液の出し入れをします。
twin bag方式と言って手動で行う方法と、APDと言って機械にセットして自動で夜間に行う方法もあります。

いずれにせよ、チューブからお腹の中に(でも腸管の外側に)透析液を入れ、数時間溜めておきます。
腹膜を介して透析液と血液の間で物質のやりとりが行われ、余分な老廃物を透析液の中に移動させよう、という方法です。
数時間後に透析液を抜き、次の液を入れます。

APDであれば夜間に4サイクル程度勝手に機械が出し入れしてくれます。
昼間は液をお腹に溜めていない状態もOKです。
昼間自分でやっている場合は、基本は溜めた状態ですね。

量としてはその人の体格にもよりますし、あんまり量が多いと苦しいですから、1.5-2L程度です。
えっ?!そんなにお腹に溜めるの?!って感じだとは思いますが、意外とけろっと溜めてしまう患者さんが多いです。


透析導入すると、蛋白を始めとして、食事制限が緩くなります。
腎臓を守る必要が無くなることと、透析である程度出すことが出来るようになること、透析で失う栄養もあること、などが理由です。

透析導入した患者さんが、数年ぶりです!嬉しい!!ってフルーツなどを食べている姿を見て、こっちまで嬉しくなりました。