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Mar 11, 2011

地震


14時半から遅めのお昼にして、7階の研修医室でパソコンに向かいながらお弁当を食べていた。
その時だった。

揺れてる?
揺れてる!
あーすごい揺れてる!!!

隣にいた2年目の先輩たちの動きが早かった。
研修医室のドアを開け放った。
誰かが言った。「大丈夫、p波とs波が遠かったから、直下じゃない!」

どうしたらいいか分からなくて、でも立ってられなくて近くの柱にしがみついた。
物がすごい勢いで飛び交っていた。

自分は柱に(しかも、金属の)しがみついてるし、大丈夫。
次に思ったのは患者さんのこと。
あ、あの人は腹膜透析練習中だから機械につながれてる。
あ、あの人は血液透析中。
あ、あの人は自力では全く動けない。
あ、あの人は今嘔気嘔吐で大変なことになってる。

強い地震が収まった時、まだ揺れている中、階段で7階から12階まで駆け上がった。
揺れてたから、階段で1段踏み外し、手すりを持ってた手で支えたけど、左足の脛を強打。
それでも、駆け上がった。

12階についたら、2年目の先輩がいて、患者一覧を印刷していた。
二人で12階の患者さんを見て回った。

物が飛んできて当たったりしてないかどうか。
点滴が抜けてしまったりしてないかどうか。
カテが壊れたりしてないかどうか。

とにかく一回りしてから、15階へあがって。
患者さんの所をひとめぐり。
みんな大丈夫だった。

でも、その間も基本的にはずっと揺れてる。
そうこうしているうちに、自分が船酔いになってしまい、嘔気・めまいが止まらない。
オンコールルーム(当直室)で袋を抱えてゲーゲー言いながら休憩を取るのと、患者さんの所を行ったり来たりを繰り返し。
地震が起ころうがなんだろうが、患者さんが医療を必要としている状態には変わりないから。

2年目の先輩でERを回った人たちは、ERの初寮室に呼ばれていった。
救急外来に人が押し寄せていたらしい。
1年目の私たちは、病棟で自分の患者さんたちの仕事をこなして。

夜勤の看護師さんたちが来れないから、看護師さんたちも仕事が大変。
上の先生たちは家に帰れないから病院に泊まる人が続出。


私は、というと。
自分が船酔い状態で気持ちが悪いこともあり、寮が近いし、ERや病棟もとりあえず人手も大丈夫そうだから、と8時過ぎに帰宅の途へ。
公衆電話から実家・祖母宅に電話。
みんな無事だった。


家に帰るまでの道も人がすごかった。車もすごかった。
自宅について驚いた。
住める状態じゃなかった。

冷蔵庫・電子レンジ・ミキサー・炊飯器などがとんでもない状態。
CDが部屋に散乱。
時計は落ち(ガラス製だったけど、奇跡的に割れてなかった。上の写真のように、地震発生時刻で止まっていた)、神棚のお札も落ち。
奇跡的に、CDのケースが1つ割れた以外は、瀬戸物の類などは割れてなかったけど。
とりあえず、自力でどうにも動かないもの以外は戻して。

電気は大丈夫。水も出た。
でも、ガスが出ない。
ガスメーターの復旧とかそういう問題じゃなく、どうもマンション全体としてガスが止まっているらしい。
生きていて、怪我がないだけ幸せ。
家族も無事らしい。

自宅でテレビをつけてみて、血の気が引いた。
病院の中にいた時は、石油コンビナートが燃えているのが見えたり、火事があるのが見えたりしてた以外は、世の中がどうなっているのかは分からなかったから。
とんでもない状態。どうするの、これ。
自然の脅威って怖い。
ものすごい数の人が死んでる。
ものすごい数の人が家族を亡くしたり怪我をしたりしている。
ものすごい数の人が家や畑などを失くしている。


自宅の復旧したら、病院に戻るべきかな。
私はどうしたら、役に立てるかな。

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