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Sep 30, 2012

学生時代に想いを馳せる

考えてみると、学生時代は臨床を知りませんでした。
いえ、学生時代だって実習があるから、現場には少しは出ます。
そして、その時に実際の現場から学ぶ事は多くて、沢山のことを思ってきました。
だけど、あくまでその瞬間の医療を見ていて、いいとこ取りのような、後先の無い医療を見ていたのだな、と。

考えてみると、 研修医時代は考えが浅すぎました。
いえ、今だってまだまだ浅いんですけどね。
学生時代と比べれば出来ることもやっていい事も増えました。
学生時代と比べれば患者さんのことを総合的に考えるようになりました。
でも、研修医時代は入院のその間のことを考えていただけで、生活背景についてなんて考えていなかったし、自分自身だけの判断で物事を進めることが少なかったです。


そして今。
今思うことは、今の私はようやく半人前。研修医時代は半人前とさえ言えないような、学生に毛が生えた程度でした。

今だってかなり甘やかされた現場にいるのは分かっています。
だけど、今の私は前よりも患者さんの背景やご家族のことを考えられるようになったし、責任を持って退院後のその後のその子の人生についてまでささやかながら考え始めました。
 
検査方針や治療方針の決定。
重症な子のご家族とのお話や検査や治療のIC、現在の状況や今後の方針のIC。
その子の背景を考え、入院中にやること、退院後にすることを考えたり退院時期の調節や他科の先生との相談。
いろんなことに悩みながら、それでも私なりにちゃんと責任を持って自分で考えて、上の先生に相談しながら決定して、 そして、次に活かす。

そんな毎日を繰り返している中で、今日は学生さんたちの勉強会?セミナー?にOGとして顔を出してきました。
優秀な人が沢山。でも、人形や模擬患者さんに向かう態度や言葉、細かいことが気になってしまった。
優秀がゆえに、学生のシュミレーション学習、という枠を超えて、実際の医療現場に照らし合わせてしまったのだとは思うのですが。
どうもしっくり来なかった。

学生時代は目の前の模擬患者さんにただ必死にお話を聞いて治療を決めて、だったけど。
実際には、その一つ一つにものすごい背景がある訳で。
実際には、その一つ一つをやる時にはいろんなことがからみあっている訳で。
大人になったんだなぁ、私。まだまだだけど、それでも学生時代と比べれば全く違う。

Sep 28, 2012

苦しい

正直に言おう。
最近、仕事が辛い。

朝起きて仕事に行くこと自体は嫌でも何でも無い。
仕事自体も嫌いではなく、むしろ新生児科に行きたい私にとって、今の仕事は好き。

そうなんだけど、最近辛い。
でも、何が、っていうのが自分でもよく分からなくて説明も難しい。
だけど、辛い。

重症な子たちの行く末を考えてしまうからかな。
軽症な子も重症な子も。ご家族に沢山愛情をもらって育って欲しい。

Sep 19, 2012

2年半後を見据えて

小児科の中でも新生児をサブスペシャリストにしようと思っている私にとって、NICUを回っている今年の経験は大切なんだろうと思うんです。

いろんな子を診てきました。
23週の超早産児の子、-4.5SDのsevere FGRの子、胎便性腹膜炎の子、MD twinとTT tripletの子たち、27-35週の様々な早産の子たち、超低出生体重児の子たち、原因不明の先天異常症候群の子、MASの子、NOを回した子、21 trisomyの子、血液疾患で転院になった子、PDAの手術の為に転院になった子、経管栄養併用で退院になった子、social problemがある子、重症黄疸がある子、皮膚疾患の子
などなどなど。挙げていったらきりがないくらい。

NICUに来てすぐは、私だけが一番の新人で行ったこともあり、重症さんを次から次へと担当して、その後、先輩たちが入れ替わった頃には中等症を次々担当させてもらって、沢山沢山学ばせてもらってきて。
自分の中でも、どうしたらいいかが全く分からなくて上の先生に完全におんぶに抱っこ、という状態からは少し抜け出して来て、自分である程度は診られるようになってきたかなっていう自信が少し付いて来たところ。

あと診ていないのは、染色体異常の子、在宅に移行する子、心疾患の子、重症仮死の子、けいれんなど神経疾患の子とか。
もちろん、それ以外の珍しい疾患はもちろん担当していませんが。

そんな最中、とある染色体異常の子を担当することになりました。
心合併症がある子なのですが、心疾患を担当するのも初めて。
診てない疾患の2つがある子を担当することになり、焦ったかのように勉強をしている状態です。


今年沢山沢山経験させてもらって、2年半後に戻った時には今よりも少しは一人でまかされても大丈夫なくらい、病棟を少しでも支えられる人になっていたい。
もちろん、今も大事で、大好きな先輩I先生の負担を少しでも重くしたくないし、他の先輩先生たちと上手く症例を分けていきたいとも思ってます。
あと半年ちょっと。できるだけ沢山を学んで吸収したい。

Sep 16, 2012

なんで新生児?

新生児決定?
なんで新生児?
って聞かれました。

多分、新生児をサブスペシャリティーとして選ぶと思います。
途中、循環器の勉強はしたいと思っていますけど。

でも、多分新生児を希望している理由はみんなが思っている理由とは違う。
別に、救急だとか蘇生だとか、そういう部分に引かれている訳ではないんです。

私が新生児を希望しているのは、同じ子をずっと幅広く診ていけるから。
・生まれた時の蘇生
・急性期の集中管理
・慢性期管理の哺乳やら体重やら呼吸
・退院してからの発達をずっとフォローしていける

もともとは高校生の頃から新生児医療があることを知っていて、こういう医療がしたいって思って、それも医者になることの大きなきっかけだから。 実際に新生児を知って、理由は少し変わって、更に引かれるようになったから。
そう思うと、恐らく他に揺らぐ事はないんだろうなぁって思います。

Sep 15, 2012

医療セミナー

関連病院の先生たちが集まって、症例報告だったりいろんな発表をする会です。
まぁ、いわば身内で行う小児科地方会的な感じの会です。

私は今回、先週の小児科埼玉地方会に続き、観血的血圧測定に関する実験の発表を行いました。
まだまだ原稿はばっちり用意していくし、噛んじゃうし、質問もタジタジだし。
うー、、、って思って終わりました。


この会、最優秀演題と優秀演題を選んで、会の後の懇親会で発表するんです。
で、まさかの私が最優秀演題でした!!



曰く、スライドはちゃんとまとまっているし、発表も堂々としてたし、質問への答え方もしっかりしていたし、とのことで。
もう、ビックリ。

実は、新生児の先生たちに相談があって、懇親会の前に病棟によってたんです。
そしたら、新生児の先生のPHSに、はやたま(&一緒にいた後輩)を会場に行かせるように、っていう電話が入ったんです。

「沢山人がいるのになんでばれたんだろうねー」って言いながら行って。
「優秀演題とか失敗した私には関係ないし、遅れていった分今から美味しいもの沢山食べよう!」って後輩と食べていて、カツオを口に入れた瞬間に名前を呼ばれてビックリ(笑)

来ないから探しながら待ってたんだよーって言われました。
今思えば、最優秀演題賞を渡すのに、私がいないから捜索されてたんですね(笑)

 いやはや。
諸先生と諸先輩方に感謝です。
だって、何を出すのかって決めたの部長の先生だし、先生の言う通りに実験をして結果をまとめてスライドにしただけなのに!
しかも、他の病院の先生たちはだいたいが症例報告(こういう子がいました、っていうタイプの発表)なのに、私だけ実験の話だし。
(事実、相談の為に終わった後に病棟に行ったら、新生児の先生にはあの演題でよく取ったね、って言われたし)

驚いたけど、嬉しかったです。
副賞で頂いた図書カードで、早速、呼吸理学療法の参考にする本を買おうかしら。

感謝

私が当直中に初めて引いた子。
先輩を呼んだけど間に合わなくて、初めて一人で蘇生をした子。
重症で、入院させてからの方針とかは先輩がほとんど決めてくれてたけど。

私にとっては、本当に感謝でいっぱいな子なんです。
あの子がいたから、当直とか初期蘇生の恐怖がかなり減った。
(重症だった場合の入院後の方針はともかく)
あの子をほんの18時間だけど担当させてもらって、当直の時の私が少し自立できた。
だから7月からの私はきちんと立っていられたんだと思う。

そんな、沢山感謝していた患者さんが、今週亡くなったと知りました。
専門治療が必要だったため、当直中に生まれて、次の朝には転院が決定していた子。
転院先は大学。ちょくちょく話を聞いて、現状を聞いてはきていて。
ずっと、厳しい厳しいとは分かっていたんですが。
実際に亡くなった、って聞いて涙が出るかと思いました。

ありがとう。
本当にありがとう。
ご冥福をお祈りします。

Sep 11, 2012

IC

ご家族に重要なお話をする際は、ご両親揃って、が基本です。
そして、医療者側も複数立ち会います。
医師二人と看護師、とか。

看護師はもちろんのこと、ご家族にとって一番近い位置にいる医師は、本来は一番厳しいお話はしません。
お話を聞いた後に、ご家族に寄り添って、フォローをする役割があるから。
 

今私が担当している、とある厳しい患者さん。
上の先生と一緒に担当していたのですが、その後上の先生は異動。
今はほぼ私一人でフォローしている状態でした。
1-2ヶ月に1回、現状と今後方針に関してのお話ををする際は部長の先生を引っ張りだして来てお話をしてもらったりしてきました。

徐々に厳しくなってきていて、どうしても辛くなってしまったり、どうしていいか分からなかったりが増えて来てしまって。
厳しい話も小出しにしながらママに伝えて来ていて。
でも、この先の事を考えると一人は無理、というのは目に見えていて。
先輩のI先生が一緒に担当してくれることになりました。

すごく安心している私がいる。
当たり前かもしれないけど、まだまだですね、私(笑)
それでも、ずっと担当してきている担当医であることは変わりなくて。
今後の方針を決めたりするのを、先輩に任せっきりにするのではなくて、ちゃんと自分で責任を持って決めていきたい。

Sep 7, 2012

医者は常に冷静でいなくてはいけない。
なんて、誰が言ったのだろう。

私もそう思う。
医者は冷静でなくてはいけない。

自分の感情で冷静でいられなくなり、冷静な判断が出来なくなってしまってはいけない。
プライベートのことで何があろうとも、仕事は常に一定に出来なくてはいけない。
患者さんが急変しようとも、パニックにならずに冷静に一番よい対処方法を探らなくてはいけない。

そう思っているのに。
今朝出勤して、私の患者さんの具合が悪くなっているのを見たら、不覚にも涙が止まらなくなってしまった。
あまりに止まらなくなってしまい、一度カンファ室に戻り、涙を拭いて目を乾かしてから出直したほど。(幸い、誰も出勤する前だったからばれずに済んだと思う)


今までだって、患者さんの具合が悪くなることはあったのに。
なんで今日に限って涙が止まらなくなったのか分からない。
いろんな細かい要因が重なってしまったからだと思う。

その時々でちゃんとやれる事はやっている。
対応が遅かった訳じゃないし、その時々の判断が間違っていた訳じゃない。
今思い返してもそう思うし、先輩にもそう言われた。

だけど、なんでだろうね、涙が止まらなかった。
まだまだプロフェッショナルじゃないんだろうな。

Sep 4, 2012

赤コンセント


今日、夜20時過ぎ。
NICUでクベース(保育器)の中に手を入れて、赤ちゃんに処置をしていた。

突然NICUの電気が落ちた。
NICU全体の部屋の電気は消え、非常用のみ点灯している状態で薄暗い。
事態を理解出来ずに驚いて動きが止まって周りの看護師さんとかを思わず見てしまう私。
(あとから、雷が病院のすぐそばに落ちたらしい、と聞いたけど、その時点では雨が降っていたこと・雷が鳴っていたことすら知らなかった。)

人工呼吸器など命に直結するものは一瞬たりとも電気が落ちなかった。
NICUの超未ちゃん(出生体重1000g未満)たちのクベースの電源は振り返った時には既に(なのか、一瞬も電気が落ちていないかは不明)普通に動いていた。

そっか。
赤コンセントってすごいんだね。本当に、一瞬たりとも電源落ちないんだね。
患者さんの命を守っているんだね。

病院のコンセントは何種類かあります。
普通の電源は黒色。
非常用電源は赤色。その中でも、一瞬たりとも電気が落ちないものと、数十秒のタイムラグがあってから自家発電などで電気が回復するものとがあります。
あと、多分病院によっては(病棟によっては?)緑があったりもすると思う。

NICUは赤コンセントにあふれています。
GCUになると、黒コンセントも多いのだけど。
普段あんまり意識していないけど、これだけNICUの中が赤コンセントだらけというのは、それだけ命に直結するような機器を沢山使っているということの裏返しでもあるのかもしれない。
 
知識としては知っていたけど、停電に遭遇したのは実は始めて。
患者さんの命を守る上で、電気は大切なのだ、と改めて実感しました。

Sep 2, 2012

私の子

私が担当させてもらっている子たち。
重症な子もいれば、軽症な子もいる。
スムーズに退院出来る子もいれば、長期入院の子もいる。
社会的問題を抱えている子もいるし、 おじいちゃんおばあちゃんもみんな来てくれる賑やかな子もいる。

まぁ、共通しているのは、私の子たちは主治医に似ず(先輩たちには、主治医そっくりーって言われるけどさ。)、とっても元気で、囲ってもらってるポジショニングマットとかタオルとかを乗り越えていく暴れん坊さんたちということかしら(笑)


最近思うんです。
重症な子、目を引く子、派手な治療をしている子は注目される。誰もが担当したがる。
今の私にとって、そういう子たちを担当させてもらうこともすっごく大事。
だけど、同時に、病棟の中では地味かもしれない、すぐにGCUに出されちゃうような、少し小さい少し早く生まれた子の管理を(ほぼ)一人で出来るようになることもとっても大事。
私にとっても、だし、病棟や先輩にとっても。

NICUに行ってすぐは、重症な子を沢山担当させてもらってた。
Mo先生がいる最初の2ヶ月で沢山経験しておいた方がいい、という上の2人の先生たちの判断だったのだと思う。
その2ヶ月で学んだ事は大きい。

今も思うんです。
あの2ヶ月で基礎を教わった。
あの2ヶ月があるから、今の私がいる。
あの2ヶ月がなかったら、私はもっと路頭に迷っていた。

そんな、重症に囲まれた数ヶ月を過ぎ。徐々に、中等症を担当するようになった。
思えば、普通は順番は逆なのかもしれない。

だけど、重症を沢山見ていたから、中等症の子たちはそこからの引き算ができた。
この子はこれは大丈夫だから省略して大丈夫、この検査はいらない。
最初は、その判断が出来なかった。
検査どこまでやったらいいの?どこまでがっつりフォローするの?
眼科って何週まではやるの?MRIは?ビタミンの補充は?

そんな半年ちょっとを過ごして来て。
最近思うのが、中等症の子たちを、私が一人で管理出来るようになることがまず一番の目標なのかな、と。
検査をもれることなくやって、必要な補充をきちんとやって、心臓も脳も大丈夫なことを確認しながら、呼吸を見守って、体重増加良好に保って、直母がちゃんと飲めるように支援して、必要な退院前検査をして。
リスクが比較的低めの子たちを、何事も無く元気に退院に結びつけること。

極低の子たちをきちんと一人で見られるようになりたい。
その上で、超未ちゃんたちの管理もきちんと自分主体で決めていっても大丈夫なくらいになりたい。
そして、早産とか低出生体重児とか、そういう問題ではない疾患を持っている子たちの対応も少しずつ少しずつ出来るようになりたい。
MAS、けいれん、染色体異常、血液疾患、先輩たちが見ているのを横から見て、勉強する日々です。

学びたい事沢山。
何をしている訳でもなく、毎日が過ぎ去っている。
どうやって勉強時間を確保していくかが重要なんだろうなぁ。